(この記事は、第263号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、今年がメモリアルイヤーとなる音楽家のお話です。

2019年がメモリアルイヤーとなる有名な音楽家は、オッフェンバック(生誕200年)、クララ・シューマン(生誕200年)、レオポルト・モーツァルト(生誕300年)です。

オッフェンバックは、1819年にドイツで生まれた作曲家で、のちにフランスに帰化しました。オッフェンバックという名は、父親の出身地(ドイツのオッフェンバッハ・アム・マイン)からとったペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルストとなります。

オペレッタ(小さなオペラ)の原型を作った作曲家と言われ、「シャンゼリゼのモーツァルト」と当時から有名な音楽家であるロッシーニに評されるほど、美しいメロディーを数々生み出しました。

日本では、運動会の曲として誰もが聞いたことがある「天国と地獄」という音楽は、当時大ヒットをしたオペレッタ『地獄のオルフェ』の中に登場します。

しかし、成功をおさめたオッフェンバックですが、経営していた劇場は慢性的な赤字に苦しみ、彼の風刺の効いた作品は、知識人からの批判も多く、「オルフェ論争」と言われる論争も巻き起こしました。

同じ年に同じドイツで生まれたもう一人の音楽家が、ロベルト・シューマンの妻、クララ・シューマンです。

父にピアノの手ほどきを受け、9歳の時にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会でデビューし、19世紀を代表するピアニストとして活躍しました。

当時のオーストリア皇帝から「天才少女」と呼ばれ、ショパンからも「僕の練習曲集を弾ける唯一のドイツ人女性」と絶賛されました。リストには、ピアノだけでなく作曲家としての能力も高く評価されていたのですから、いかに素晴らしい音楽家であったのかが想像できます。

クララがデビューした年に、クララの父に弟子入りしたのが、のちの夫となるロベルトですが、クララの父から結婚を猛反対され、父との確執が生まれていきます。裁判まで起こし、父に勝訴してクララは20歳の時にロベルトと結婚をします。父と和解したのは、だいぶ後になってからのようです。

当時大変有名な音楽家だったクララの父は、クララを「第2のモーツァルト」にするべくレッスンしていたそうですから、幼少期から光る才能があったのかもしれません。

ロベルト・シューマンとの間に8人の子供をもうけますが、妊娠中も精力的に演奏活動を続けました。

しかし、長男は1歳で死亡し、ロベルト・シューマンも、46歳の生涯の晩年は自殺未遂や精神病での隔離が続き、三男もロベルトの精神障害が部分的に遺伝したことが原因で自殺しています。

ロベルトの死後、それまでも親交が深かったヨハネス・ブラームスと恋愛関係になったという説もありますが、いずれにしても、波乱万丈の人生だったと言えるでしょう。

クラシック界の天才中の天才と評されているモーツァルトもまた、クララ・シューマンと同じく、父親のレオポルト・モーツァルトから手ほどきを受けました。

レオポルト・モーツァルトは、宮廷管弦楽団のヴァイオリニストや宮廷作曲家、またヴァイオリン教師としても活躍していました。彼が出版した『ヴァイオリン奏法』は、史上初めてヴァイオリンの教授法を論理的に解説した本で、世界各国で翻訳され出版されました。

レオポルトは、息子であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに音楽の手ほどきをしただけでなく、ヨーロッパ中の国々に家族で演奏旅行に出向き、各地の王侯や貴族の前で息子に演奏をさせて、モーツァルトを売り込みました。いわゆるステージパパですね。

後に父と子の間には確執が生まれていくのですが、今日でもこれだけ世界的にモーツァルトの作品が演奏されていることを考えますと、レオポルトの功績は大変大きく、なおかつ大成功を収めたと言えるかと思います。

音楽作品そのものだけではなく、作曲者の背景にあるものも知りながら、今年も楽しく音楽に関わっていきたいものですね。

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(この記事は、第261号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、今年の秋に行われた第87回日本音楽コンクールのお話です。

日本音楽コンクールについては、以前もお話しましたが、現在、日本の音楽コンクールの最高峰とも言われ、若手音楽家の登竜門となっています。

今年は、ヴァイオリン部門、作曲部門、トランペット部門、クラリネット部門、ピアノ部門、声楽部門が開催されましたが、最近NHKで、「響け、私のヴァイオリン」というタイトルでヴァイオリン部門を取り上げたドキュメンタリー番組が放送されたので見てみました。

ヴァイオリン部門は、最初の第1次予選が、8月27日から3日間かけて行われ、110人が参加しました。予選は3次予選まであり、例年最後の本選に進めるのは4人だけという大変厳しく狭き門になります。

審査は9人の審査員による加点式で、1人25点の持ち点があり、最高点と最低点を削った残りの合計で競い合います。

第1次予選の課題曲は2曲で、基礎的な演奏能力を審査します。

課題曲の1つであるモーツァルト作曲のヴァイオリン協奏曲第1番は、小学生でも演奏できるほど技術的には難しくありませんが、シンプルで、音階が多く出てくるので、ちょっとしたミスでも目立ってしまいます。技術がそのまま露呈し、機械的な演奏になってしまう可能性もあり、演奏者泣かせの曲でもあります。

最年少の15歳でコンクールに参加している方は、「モーツァルトが、私と同じ歳に書いた曲らしいので、気品溢れているけど、無邪気なところもあるので、真面目に弾くだけではなく、楽しく無邪気に弾けたらいいなと思っています」と話していました。

第2次予選は、8月30日、31日に行われました。難しい技巧の曲を、いかに弾きこなすかが問われますが、単に技術をひけらかすのではなく、高い表現力も求められます。

課題曲の1つは、ミルシテイン作曲のパガニーニアーナで、クライマックスでは高い音への跳躍が何度も登場して、まるでフィギュアスケートのトリプルアクセルを連発しているようだと、番組の中では解説されていました。

2次予選では、12人が合格し、3次予選へ進みました。この時点で、9割の参加者が姿を消したことになります。

第3次予選は、9月1日に行われました。バッハ作曲の無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番、イザイ作曲の無伴奏ヴァイオリンソナタ第2番、ドビュッシー作曲のヴァイオリンソナタ、この3つの課題曲をリサイタルのように演奏します。単調にならず、性格の異なる3曲をいかに聴かせるのか、構成力と表現の幅が問われます。

この3次予選では、大学生3人と高校生1人の計4人が合格し、本選へ進むことになりました。

最年少15歳の参加者は、残念ながら本選へは進めませんでしたが、「3次予選まで来たので満足です。練習してきた曲は全部弾くことができたので嬉しいです。この1週間は、本当に充実していたので、コンクールだけど楽しかったです」と、とても笑顔で話していたのが印象的でした。

本選は、3次予選から2カ月近く後に行われ、オーケストラとの協奏曲が課題曲になります。普段、プロのオーケストラと一緒に演奏することは、なかなかできないので、それを目指して参加する方も少なくないようです。

本選の4日前には、リハーサルが行われますが、これがオーケストラとの初合わせとなります。1時間という限られた時間の中で、自分のイメージを指揮者やオーケストラに伝えなければなりません。

東京芸術大学2年生の荒井里桜さんは、ビデオカメラをセットして、録画しながらリハーサルを行っていました。昨年、東京音楽コンクールで優勝していますが、日本音楽コンクールは3回目の挑戦で、これまでは2次予選止まりだったそうです。

3次予選の課題曲のイザイの作品では、安定した技術と厚みのある音で強い印象を残し、ドビュッシーの作品では、緩急自在の演奏を披露し、音色の多彩さも表現して、ひときわ大きな拍手が会場を包み、大いに聴衆を魅了していました。

番組では、本選参加者の日常生活の密着取材もされていて、学食でランチをして女子トークを繰り広げている場面や、学校での練習風景も映されていました。

本選では、コンチェルトの中でも、作曲家の中でも一番好きなブラームスの作品を演奏していました。嬉しさの中の寂しさや、共感できる部分がたくさんあるところが魅力なのだそうです。太いけれど艶があって繊細な音を出したく、音を聴いたら誰の音かがわかるような、自分の音を求めているのだそうです。

東京音楽大学の関朋岳さんも、日本音楽コンクールの直前に行われた東京音楽コンクールで優勝しましたが、日本音楽コンクールは3度目の挑戦だそうです。

本選では、荒井さんと同じく、ブラームス作曲のヴァイオリン協奏曲を選んでいました。ブラームスは、厚みがあって重厚感があるイメージですが、愛情深く、もっと繊細な部分もあると思うので、美しさや繊細さ、心にタッチするような感動を届けたいと思って演奏しているのだそうです。

番組では、チャイコフスキーコンクールで優勝したヴァイオリニストの神尾真由子さんのレッスンを受けている様子も映されていました。

最初のフレーズを弾くと、すぐに「最初の音はどうやって出しているの?」と質問され、関さんが演奏すると「具体的には?」と聞き、関さんが返答に困っていました。「さあ弾くぞじゃなくて、決まっているの? 弾き方?」と再度聞いていて、関さんが「特に考えたことはないです」と答えると、即座に「えーっ!!」と驚かれる神尾さんの声が聴こえてきました。

「勢いで弾いていて、一つ一つの音の方向性が決まっていない。ビブラートをかけて弾くのか、たっぷり弾くのか、どうするのか。ここは、こういう音を出したい、だからこういうビブラートを使って、どのくらいの速さのビブラートで、どのくらいの幅のビブラートで、どのくらいの速さのボーイング(弓使い)で演奏するのかを考えられていない」と、ズバリと指摘されていました。

大変厳しいですが、プロの演奏家がどのような姿勢で音楽に向き合っているのか垣間見えたようで、とても勉強になりました。

本選参加者の中で唯一の高校生である、東京芸術大学付属高校の佐々木つくしさんは、日本音楽コンクールの本選に行けるレベルでないと、海外に出ても仕事をもらえないだろうし、本選でプロのオーケストラと演奏したいと思ってコンクールに参加したのだそうです。

まだあどけなさが残る可愛らしい高校生で、インタビューでも「質問、何でしたっけ? あれっ?」と、はにかんだ笑顔を見せていました。

3歳の時に、お母さんが趣味で始めたヴァイオリンを見て、「私も弾きたい」と思ってヴァイオリンを始めたのだそうです。先生が怖かったそうで、お母さんと一緒に怒られないように練習をしていたそうです。

本選では、子供のころから好きだったチャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトを選んでいました。楽譜には、細かくびっしりと書き込みがあり、いつも物語を考えながら演奏のイメージを膨らませているのだそうです。何度も、「歌う」という文字の書き込みがあり、感情をこめて歌うように演奏することが目標なのだそうです。

ご両親は、音楽を趣味でなさっていますが、いろいろな面で協力をされてきたそうで、3人でここまで来れたと話していました。

佐々木さんは、オーケストラとのリハーサルに制服姿で登場し、舞台上でもキョロキョロ落ち着かない様子が映しだされていました。もちろん、演奏中は堂々としていましたが、演奏が終わって指揮者に「良いと思います?」と聞かれても、「わからないです」と可愛らしい笑顔で素直に答えていて、オーケストラのメンバーが笑っていました。

指揮者が、「もうちょっと、こうしたいなあというのがあったら…」と聞くと、佐々木さんは少し時間をおいてから、「オーケストラを、置いていっているところはないですか?」と、逆に質問をしていて、指揮者が間髪入れずに、「大丈夫です、ちゃんとついていっています。一生懸命ついていっています。心配ないです。その時は、私のせいですから…」と答え、すぐに佐々木さんが「いえいえ」と答えていて、そのやり取りを聞いているオーケストラのメンバーが笑っているという、佐々木さんの人柄を垣間見た場面もありました。

5度目の挑戦となった東京音楽大学の福田麻子さんは、今回が最後の挑戦という気持ちで臨んだそうです。選んだ作品は、バルトーク作曲のヴァイオリン協奏曲第2番ですが、とても難解な作品だそうで、リハーサルでは指揮者も思わず「難しい」とつぶやいているシーンがありました。

最大の難所は、オーケストラとの合奏部分で、複雑なリズムと目まぐるしく変わる曲想、旋律の節回しも独特で、とにかく合わせにくいのだそうです。オーケストラとの共演は初めてだそうですが、自分の技量を上げるいい経験になると話していて、バルトークの神秘的な雰囲気や、人間らしさをを伝えたいのだそうです。

ヴァイオリン部門の本選は、10月28日に行われ、優勝は荒井里桜さん、2位は佐々木つくしさん、第3位は福田麻子さん、入選は関朋岳さんとなりました。

ちなみに、ピアノ部門では、小井土文哉さんが優勝し、本選出場者4人すべてが桐朋学園大学の学生さんという結果になりました。小井土さんは、昨年入選でしたので、今年こそはという意気込みで参加されたのかもしれません。

プロの演奏家としての、これからの成長と活躍を楽しみにしたいものですね。

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(この記事は、第260号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、メモリアルイヤーの音楽家、バーンスタインのお話です。

11月も下旬となり、朝晩はだいぶ肌寒くなってきました。私は、既に手袋が欠かせませんが、レッスンにいらっしゃる生徒さん方も口々に「もう暖房をつけています」とお話されています。

今年も残り1カ月ちょっとですので、「今年の汚れ、今年のうちに」というお掃除のCMではありませんが、今年のうちに今年ならではのものを楽しみたいものです。

今年2018年は、ドビュッシー没後100年の他に、ロッシーニ没後150年、そしてバーンスタイン生誕100年の記念年でもあります。

ピアノを弾いている方やクラシック音楽が好きな方には、ドビュッシーやロッシーニはお馴染みの作曲家だと思います。

ドビュッシーは、ピアノ曲「月の光」「亜麻色の髪の乙女」、交響詩「海」などの作品が有名で、パリ万博で東洋の音楽や文化に触れて大いに影響を受け、西洋と東洋をミックスさせた作品作りをして大きな功績を残しました。どことなく、日本の音楽や東洋の音楽に似ているような気がするのは、このような理由なのですね。

ロッシーニは、イタリアの作曲家で「セビリアの理髪師」や「ウィリアム・テル」など多くのオペラ作品を作りました。

ショパンが活躍していた時には、ロッシーニは既に大人気の作曲家となっていて、自分の馬車でレストランなどに出かけていたそうです。それでもまだ、音楽家は身分が低いので、表口から入ることは許されず、裏口からお店の中に入っていたそうです。

代表作のオペラ「ウィリアム・テル」は、上演時間が4時間くらいかかるので、まとまった時間がとれそうな年末年始に、じっくりと聴いてみたいですね。

ドビュッシーもロッシーニも、没後の記念年ですが、バーンスタインは生誕というおめでたい記念になります。

バーンスタインは、ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の作曲家としてすっかりお馴染みですが、指揮者としても大変有名です。

ドビュッシーやロッシーニの時代は、映像が残っていませんが、バーンスタインは映像が残っており、彼の演奏を聴くことができるのは嬉しいものです。

バーンスタインは、「世界のオザワ」こと小澤征爾さんや佐渡裕さんの師匠でもありますが、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんも、彼が世に送り出した音楽家です。

当時14歳だった五嶋みどりさんは、バーンスタインにその才能を高く評価され、アメリカのタングルウッド音楽祭にソリストとして招かれました。そして、野外ステージで演奏するのですが、演奏中にヴァイオリンの弦が切れてしまうというアクシデントが発生します。コンサートマスターのヴァイオリンを借りて演奏を続けるのですが、またしてもヴァイオリンの弦が切れてしまうのです。今度はサブのコンサートマスターのヴァイオリンを借りて、演奏を続け、立派にヴァイオリンを弾ききりました。

ヴァイオリンは体の大きさに合わせて、楽器のサイズが異なります。14歳だったみどりさんは、まだ体が小さかったので、使用しているヴァイオリンは大人のサイズではなく、4分の3サイズだったそうです。サイズが異なると、音程を決める指の置き方や幅も変わってくるはずですから、慣れるまでに時間もかかり、そうそう簡単には演奏できないものです。

2度も弦が切れるというアクシデントや、代わりの弦の持ち合わせがなく張り替えることができなかったという、影の?アクシデントにも見舞われましたが、瞬時に対応して演奏を続け、素晴らしい音楽を奏で続けるという、まさに神業のようなことをしたわけです。

この出来事がきっかけとなり、みどりさんは一気に世界中で有名になり、アメリカの教科書にもこの話が掲載されました。

後に、「タングルウッドの奇跡」と呼ばれるこの出来事は、映像が残っています。

五嶋みどり タングルウッドの奇跡

アクシデントに動じず、冷静に対応して演奏するみどりさんと、演奏後に拍手をするボストン交響楽団のメンバー、世界の巨匠であるバーンスタインが涙を流して、みどりさんを抱きしめる姿は実に感動的ですし、バーンスタインの人柄も知ることができる映像です。

バーンスタインを記念したコンサートが全国各地で行われているようですので、足を運ばれるのも良いのではないでしょうか。

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