絵画と音楽のお話


2022年10月31日


(この記事は、2022年10月17日に配信しました第357号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、絵画と音楽のお話です。

10月も半ばとなり、過ごしやすい気候となりました。行楽などお出かけにピッタリな季節ですね。街中では、だいぶ前からハロウィン関連のグッズや装飾を目にするようになり、すっかり秋を感じる風物詩の一つになった感じがします。

秋は、芸術の秋でもありますが、芸術は音楽だけでなく、美術や建築、服飾、文学、デザインなど実に様々です。音楽の世界では、作曲家たちが日夜、新しい音楽を生み出すべく奮闘しているわけですが、そのアイディアはどこからきているのか、どうやって音楽を作り出しているのか、疑問に思う事も少なくありません。ドレミファソラシという限られた音を使って、いろいろな作曲家が次々と新しい音楽を作り出し、一部似ている音楽はあるとしても、他の誰とも被ることなく新しい音楽を作り出すのですから、凄いなあと感心せずにはいられません。

ベートーヴェンは、散歩しながら構想を練り、ショパンは、外部の音を遮断した防音の部屋の中にこもって、悩みに悩んで何回も書き直しながら作曲をしていたそうです。シューベルトは、いつでもどこでもアイディアが降ってくるそうで、いつでもメモできるように、寝ている時も枕元にメモ帳を置き、眼鏡をかけて寝ていたとも言われています。友人達との会食中に急にひらめいて、テーブルクロスにメモを書き始めた事もあったそうです。

ベートーヴェンの散歩しながらというのは、少しかっこいい感じもしますし、ショパンはなんだか追い込まれた悲壮感のようなものを感じたり、シューベルトは、クラシックの作曲家の中では、若干地味な感じがしていましたが、実はこれぞ天才という人だったのかと思ったり、クラシックの作曲家も、それぞれ独自の作曲方法があったようです。

いずれの作曲家も、自己の内面と向き合うことで作曲活動している点は共通している気がしますが、それだけではなく、他のものとの関わりの中で音楽を生み出すきっかけを得ることも多かったようです。ショパンなどのロマン派の作曲家は、貴族のサロンで演奏していましたが、そのような場を通して当時の文豪や画家たちとの交流があり、いろいろと刺激を得て、作曲活動に役立てていたようです。

月刊ピアノ10月号には、「絵画と音楽」という特集が組まれていますが、これを見ますと、絵画からインスピレーションを得て生み出された音楽について、詳しく説明がされていました。

例えば、ボッティチェリの絵画に、「春」「東方三博士の礼拝」「ヴィーナスの誕生」という作品があります。どれも大変有名なので、ご存知の方も多いと思います。イタリア・ルネサンスの傑作です。この15世紀の3枚の絵画からインスピレーションを得て、同じイタリアの20世紀の音楽家レスピーギは、管弦楽の作品を作曲しました。タイトルは、そのままスバリ「ボッティチェリの3枚の絵」です。雑誌にはQRコードがあり、そこから視聴できますが、絵画を見て音楽を聴きますと、絵画のどの部分を表現したのかが分かったり、自分が絵画から得た印象との比較などもできて、とても面白い音楽鑑賞ができると思います。

同じルネサンスを代表する画家に、レオナルド・ダ・ヴィンチがいます。「モナリザ」や「最後の晩餐」などの作品が有名ですね。「最後の晩餐」は、処刑前夜のキリストと12人の使徒の晩餐の様子を描いたもので、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれた壁画です。キリストが、この12人の使徒の中に、裏切り者がいると予言し、使徒たちが動揺する場面が描かれていますが、この壁画の中にも登場しているマタイが書き記した福音書を元に、ヨハン・セバスチャン・バッハが管弦楽と合唱、独唱などで演奏する「マタイ受難曲」を作曲しました。

また、同時期のルネサンスで活躍したミケランジェロは、バチカンのシスティーナ礼拝堂にある大変有名な「最後の審判」という壁画を描いていますが、中央に描かれたキリストが、死者たちに裁きを下しています。最後の審判の日は、「怒りの日」と呼ばれ、モーツァルトやヴェルディなども、死者のためのミサ曲の中で「怒りの日」という音楽を作曲しています。両方の曲とも、聴き覚えのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もっと古い時代のグレゴリオ聖歌の中にある「怒りの日」のメロディーは、リストやサン=サーンス、マーラー、ラフマニノフなどが引用しています。作曲家によって、それぞれの「怒りの日」が表現されていますので、聴き比べますと大変面白いと思います。

ピアノ曲に影響を与えた絵画としては、18世紀のロココ様式の時代に活躍した画家ヴァトーの「シテール島への巡礼」があります。愛の女神ヴィーナスの島と呼ばれるシテール島に、何組もの恋人たちが訪れるという、官能的で喜びに溢れた絵画なのですが、20世紀の作曲家ドビュッシーが、この絵画からインスピレーションを得て作られたのが、ピアノ曲「喜びの島」です。第1メロディーからして、柔らかくウキウキしたような印象の音楽で、まさに喜びに満ちた作品と言えるかと思います。

月刊ピアノでは、他に、葛飾北斎とドビュッシーの作品についてや、19世紀後半にヨーロッパで巻き起こったジャポニズム(日本趣味)の影響を受けた音楽なども紹介されていました。絵画の大きな写真も掲載されていますので、とても分かりやすい特集だと思います。

音楽だけでも、十分楽しめる完結されたものですが、そこに至るまでに影響を受けた絵画について知ると、より音楽も深く理解することができますし、なにより楽しみが増してくると思います。今年の秋は、一味違った芸術の秋を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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魅せるピアノ奏法


2022年10月16日


(この記事は、2022年10月3日に配信しました第356号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、魅せるピアノ奏法のお話です。

9月も終わり、秋本番となりました。この土日に、お子様やお孫さんの運動会があったという方も多いのではないでしょうか。スポーツの秋に食欲の秋、読書の秋、芸術の秋など、いろいろな場面で秋を感じることと思います。コンサートやリサイタルも、以前に比べてだいぶ復活してきているようですから、コロナですっかり足が遠のいてしまった方も、オンラインとは違った生の音楽の素晴らしさを味わってみるのも良いかもしれません。

書店などにも置いてありますが、ピアノの楽譜付きの月刊誌「月刊ピアノ」というものがあります。ピアノや音楽のいろいろな話題だけでなく、クラシックからJポップまで幅広いジャンルのアレンジ楽譜がたくさん掲載されています。今回、その特集に興味があり、手に取ってみました。

特集は、「魅せるピアノ奏法」というもので、最近話題になっているH ZETT Mさんやレ・フレールさん、菊池亮太さんの3人を取り上げていました。

H ZETT Mさんは、体をのけぞったり、ピアノの下にもぐったり、飛び跳ねたりと、いろいろな体勢でパフォーマンスをしながら凄い演奏テクニックでピアノを弾くピアニストです。このような演奏を生徒さんが真似したら、指導されている先生方は腰を抜かしそうですが(笑)。

ピアノのリサイタルやコンサートは、かしこまっていて堅苦しいイメージもありますが、このようなコンサートでしたら大変気軽ですし、面白いので聴きに行きたくなりますね。雑誌のインタビューの中でも、「ピアノは、本来座って弾くべき。立って弾くのは、弾きにくいし間違いだから。でも、音楽という世界で一般的な善悪、正しい、正しくないという枠にとらわれなくてもよい場面があると考えている。何か魅せようというよりも、面白いことないかなあと探している」と話していました。

固定概念から飛び出して、もっと自由に楽しもうという姿勢が感じられます。それにしても、いろいろな体勢でよくピアノが弾けるなあと感心してしまうのですが、これも日頃の練習の賜物のようです。普段は、チェルニーの練習曲をメトロノームに合わせて練習していますが、結構ゆっくりのテンポで、一音ずつ確認しながら弾いているのだそうです。本番でのびっくりするようなパフォーマンスも、実は日々の基礎練習があってこそと言えるのかもしれません。

レ・フレールさんは、連弾のピアニストとして以前から有名です。一般的な連弾のデュオという幅を超えた、兄弟ならではの阿吽の呼吸で素晴らしいピアノ演奏を披露し続け、今年で20年を迎えるそうです。7人兄弟の3番目、長男の守也さんと、5番目の圭土さんのコンビで、お二人ともルクセンブルクの国立音楽学校に留学してピアノを学ばれたそうです。連弾は、1台のピアノを2人で弾くもので、高音部担当のプリモ、低音部担当のセカンドというように、役割分担して1つの音楽を奏でますが、レ・フレールさんはそれだけではなく、演奏中の1人の後ろからもう1人が手を伸ばして二人羽織の形で演奏したり、1人が演奏中にもう1人がピアノに後ろ向きで手を伸ばして弾くというような、実に様々な連弾スタイルを編み出し、魅せるピアノ連弾を確立しました。

即興演奏中に疲れたから替わって、という事で編み出された連弾スタイルもあるそうですから、何か派手な事をしようと狙っているというよりも、日々の練習などで自然と生み出されたものなのかもしれません。独創的な音楽と1台4種の独自の連弾スタイルから、キャトルマンスタイルとも呼ばれています。かつて、幼かったモーツァルトが、宮殿で目隠しをしたり鍵盤を布で隠したままチェンバロを演奏したそうですが、レ・フレールさんの連弾を見たら、きっとビックリするでしょうね。

菊池亮太さんは、超絶技巧を駆使した演奏を披露しているピアニストです。「月刊ピアノ」の中に、いろいろな奏法の動画が見られるようにQRコードがあるので(H ZETT Mさんや、レ・フレールさんのQRコードもあります)、気になる方は実際に動画をご覧になるとよいでしょう。その中に、シフラが編曲した超絶技巧のピアノ曲「熊蜂の飛行」を菊池さんが駅ピアノで演奏している動画があります。リストの再来とまで言われるシフラの編曲ですから、弾きこなせるピアニストも多くはない程の難曲です。

これを、菊池さんは、いとも簡単に弾きこなしていて、最初は観客ゼロの状態でしたが、人々が続々と集まっている様子が映っていました。白髪のお婆様もピアノに吸い寄せられるように近づいていましたし、その横をベビーカーを押しているお母さんと制服姿の幼稚園児が歩いてきているのですが、お母さんの制止を振り切って幼稚園児が菊池さんの方に近づいていく姿もあり、演奏後はあちこちから拍手が沸き起こっていました。練習すれば誰でもできる領域ではありませんが、だからこそ、菊池さんのようなスーパーテクニックを駆使したかっこいいピアニストになりたいと憧れの気持ちを抱く方も多いのかもしれません。

どの方も、単にピアノ演奏を披露するだけではなく、これまでの常識の枠を超えて、お客さんをあらゆる角度から楽しませてくれるピアニストだと思います。また、ピアノという楽器は、思った以上にいろいろな可能性がある楽器だと思いました。今度は、是非生の演奏やパフォーマンスを見てみたいものです。

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(この記事は、2022年9月19日に配信しました第355号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、秋へと向かうピアノ教室のお話です。

9月も半ばを過ぎて、少しずつ秋を感じる今日この頃です。ピアノ教室にいらっしゃる生徒さん方とも、「日中はともかく、朝晩は少し過ごしやすくなってきましたね」などと話をしています。みなさん、やっと突き刺さるような灼熱の暑さから解放され、ホッとされているようなご様子です。

今年の夏もかなり暑かったので、少し体調を崩された生徒さんもいらっしゃいました。その生徒さんは、ご夫婦で日常的にウォーキングをされたりと、日頃から健康管理の意識が高かったので少し驚きましたが、無理は禁物ですから1ヵ月程レッスンを休むことになりました。来週から復帰される予定ですが、お元気な姿でいらっしゃることを心待ちにしているところです。

定年を機にピアノを始めた生徒さんは、ウィンタースポーツがもう一つのご趣味です。「秋になってきましたから、(ウィンタースポーツの)シーズンが少しずつ近づいてきていますね」とお話をしますと、「そうですね」とニコニコしていました。この生徒さんは、お教室に入会されてから、毎週熱心にレッスンに来られ、着々と練習曲や自由曲を進めてきていましたが、ここ最近は若干スランプ気味のご様子です。

曲の長さは、これまでとほぼ変わらないのですが、原曲にかなり近いアレンジのため調号が多く、複雑で微妙な音の進行に少し苦戦しているのかと思っていました。とは言っても、いつもと変わらずしっかりと練習を積まれているので、指運びは全体的によく、鍵盤上でうろうろと音を探しているような動きはほぼなく、弾く直前になって1つ隣の鍵盤の音を間違えて弾いてしまうという感じでした。その個所から弾くとほぼ弾けていますので、もうゴールは間近という感じで前回のレッスンを終わりました。

この日のレッスンでは、最初の音から、この作品特有の静かで少し悲しみと幻想的な雰囲気を感じる演奏で、スランプの原因になっていると思われる最難関の箇所も落ち着いて、ほぼノーミスで弾く事が出来ていました。

演奏が終わって、私は拍手をしながら「今まで弾いてきた中で、一番良かったですね~。落ち着いて、この曲の雰囲気たっぷりの演奏でしたし、この難しいところも成功でしたね」とお話をしました。生徒さんは、「ここ(難しいところ)は、ちょっと音がちゃんと鳴らなかったですが…」とは言いつつも、誉め言葉に照れているような表情をされていました。そして、「実は、ここの部分、弾いていて音楽が聴こえてくるようになったんです」と嬉しそうにおっしゃったので、私は思わず、「え~っ! 聴こえましたか~。いやー、素晴らしい!」と興奮してしまいました。「先生の方が感激していますね」と生徒さんがおっしゃっていて、今度は私が少し照れてしまいました。

「これも、コツコツと練習をされているからこそです。あーでもない、こーでもないと思いつつ練習をしてると、ある日突然『聴こえた』という体験ができるんですよね。本当に素晴らしい。よかったですね。これが段々と、聴こえる箇所が長くなったり、あっちこっちに点として聴こえるようになって、やがてそれが繋がって聴こえるようになってくるんです」とお話をしました。

ピアノは、指で鍵盤を弾くと当然音が出ますから、ピアノの練習をしている時、音は聴こえているはずなのですが、弾くという動作に一生懸命になってしまい、自分の出している音がどのような音なのか、思ったような音が出ているのか、判断できないことがとても多いのです。こうなると、主体的に音楽を奏でているのか実際にはかなり怪しくなります。そして、「今、私が弾いた音って、合ってました?」と私に聞いたりするわけです。

客観的に、自分の出している音を意識して聴きながら弾く事がとても重要なのですが、これがまた大変難しいのです。正に、「言うは易し行うは難し」という状態なのですが、これがまた、ある日突然「(自分の音が)聴こえた」という瞬間が訪れ、この体験があって、初めて音を聴くとはどういうことなのかが分かるわけです。この生徒さんも、以前、私が説明をした時には、やはり「???」という表情をされていましたが、それでも意識して練習を続けたからこそ、今回ご自分の音が聴こえたのだと思います。

なかなか仕上がらなかった曲も、この日のレッスンで無事に仕上がり、次は大変神聖な雰囲気の、ゆったりとしたテンポの曲を練習することになりました。この体験を大切に、これからますます、ご自身の音が聴こえてくるのかと思うと、私もとてもワクワクします。

小さい生徒さん方は、学校の2学期の授業が始まり、学年によっては初めての6時間授業も始まり、ややお疲れ気味の生徒さんも見受けられます。「今日は、レッスンの30分前に帰ってきたから、急いで来た~」と言いながら、小学生姉妹の生徒さんがレッスンに来られました。

小学2年生の生徒さんは、先日からモーツァルトのアレンジ作品を練習しています。ソナタのテーマ部分が、お子様が弾きやすいようにアレンジされていて、「静かな春」という題名も付いていました。この曲の練習を始めた時に、原曲はソナタというタイトルになっていて、ソナタ形式という形で作られた作品であること、また「静かな春」というタイトルは、モーツァルト自身が付けたものではないので、タイトルを気にしないで弾いてほしいとお話しました。

そして、先日この曲をレッスンで扱ったのですが、タイトルにこだわることなく自分のイメージを大切にきれいに弾いていました。弾き終わった後に生徒さんが、「音楽って自由なんだね」としみじみと話していて、小学2年生ながら音楽の本質を捉えている様子に、凄いなあと思い嬉しくなりました。

曲のタイトルに関連した、別のカワイらしいエピソードもあります。こちらも小学生の生徒さんですが、新しい曲を練習して、だんだん弾けるようになってきたことが嬉しようで、いつにも増して張り切って弾いていました。でも、曲には「夕べのうた」というタイトルが付けられています。「夕べ」の意味について説明しましたが、それでも張り切って元気よく演奏しているのでした。

そのため、「夕方の曲だから、これからだんだん夜になって暗くなっていくんだね。それで、お家に帰って、あ~今日も一日頑張ったから疲れたという感じになって、ご飯を食べて、その後寝るのかもね。例えばこんな感じの曲かな」とお話をしますと、生徒さんは、「えっ?そうなの? 夕方って、これからお家の中で何して遊ぼうかなあ~という、お楽しみの時間だと思った」と言うのです。楽曲を実際に弾くと、やはり静かで落ち着いた感じに弾いた方がふさわしいのですが、曲のタイトルからイメージするという点では、それも一つのアイデアだと思い、「なるほど~」と思ってしまいました。

お子様の自由な発想やイメージ作りは、大人顔負けの幅の広さで、凄いなあと改めて感じました。このような感性も、音楽には大変重要だと思いますので、大切に育んでいきたいと思いました。

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