(この記事は、2025年6月30日に配信しました第425号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、ベートーヴェンシリーズの第2段です。
クラシックTVというテレビ番組の話で、前回は、ベートーヴェンが作曲家になる過程の話をしましたが、その続編です。今回は、ベートーヴェンがベートーヴェンになった瞬間のドラマに迫る「ベートーヴェン ザ・レボリューション」というタイトルになっていました。
前回の第1弾では、ベートーヴェンの生誕からウィーンでデビューした29歳までを取り上げていましたが、今回は、1800年に交響曲を作曲した時から、1804年の交響曲第3番「英雄」を作曲したところまでを取り上げます。「短っ」「えっ、ここだけ?」「刻んできたね」と早くもゲストの松山ケンイチさんも驚きのコメントをされていました。
「たった4年間だけれど、大事なんです。ベートーヴェンがベートーヴェンとなる4年間と言っても過言ではないんです」と清塚さんの解説も熱が入っているようでした。当時のベートーヴェンの肖像画が紹介されていましたが、「え~、これがベートーヴェン?」と驚きの声が上がっていました。若かりし頃のベートーヴェンは、一般的によく知られている肖像画と同じ人物とは思えないほど違っています。髪型も短髪ですし、革命ルックという服装を身に着けています。
自由や平等を求める市民が立ち上がって、身分社会をひっくり返したフランス革命がファッションにも影響を及ぼしていました。革命前は、贅を尽くしたきらびやかな服装でしたが、革命後は装飾をなくしたシンプルな服装に変わっています。これが革命ルックと呼ばれ、当時流行したのだそうです。また、少し前の時代のモーツァルトまでは、カツラをかぶっていましたが、革命後はカツラもかぶらなくなりました。
フランス革命の頃、ベートーヴェンは、大学でフランス革命に参加した学者の授業を受けており、革命の精神である「自由・平等・博愛」を学びます。革命の精神に共鳴していたからこそ、肖像画でも、革命ルックに身を包んでいたのだと思います。
30代になり、ピアニストとしても作曲家としても超売れっ子になっていましたが、世間の称賛とは裏腹に「こんなつまらないもの!」と過去の自分の作品を否定し始めます。当時ウィーンでは市民のための劇場ができ、それまで貴族のための音楽だったものが、誰もが音楽を聴ける時代になりました。ベートーヴェンは、過去を否定し、挑戦的な音楽を作っていきます。
この時代に、有名なピアノソナタ第14番「月光」が作曲されます。清塚さんが演奏しならが、「貴族の前で、それではお聴きくださいと言って演奏するような、きらびやかな感じでもない第1楽章ですし、終楽章などはロックとか激動、パッションを感じる音楽なんですよね。当時の楽譜の表紙を見てみると、幻想曲風ソナタと書かれていて、幻想曲が自由で即興的な音楽のことで、このピアノソナタにもその要素を取り入れて、形式にこだわらず、自分の個性を発揮する意思が見えます。激しさや暗さ、悲しさ、自由などが表現され、激動の時代に合っているのでは」と解説されていました。
清塚さんのピアノ演奏の後、フランス革命の英雄「ナポレオン・ボナパルト」の話に移っていきます。ナポレオンは、ベートーヴェンの1歳年上になります。
1802年、ベートーヴェンが憧れていたナポレオンは、ヨーロッパで連戦連勝中で、その戦利品を市民に公開するために、ルーブル美術館を作りました。この頃のベートーヴェンは、耳の病が悪化していてウィーン郊外のハイリゲンシュタットで引きこもっていました。半年近く一人で苦しんでいて、絶望の中、家族に向けて書いた手紙が、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれるものです。番組では、この遺書についての話もありました。
「基本的に、どんなに才能があっても、耳が聴こえない状態でコンサートを行うのは、ピアニストとしては無理ですね」という清塚さんの話に、「という事は、ピアニストとしては死というか、道がないという事ですね」と松山さんもコメントされていて、番組の雰囲気もちょっと沈んでいるように感じました。遺書と呼ばれている文章ですが、生と死の狭間で揺れ動くベートーヴェンの姿があります。「絶望があと少し大きければ、自ら命を絶っていただろう。ただ、芸術が私を引き留めてくれた。私の中に感じる全てのものを生み出すまでは、この世を去ることはできない。さようなら、どうか私を忘れないでくれ」と書かれているのです。
「自分自身の命の生死ではなくて、自分のやっている仕事や活動に対しての生死だったら、遺書という意味には繋がるかな」と松山さんが話していました。清塚さんは、「自分との対峙として書かれたのかなと思いますね。この遺書はベートーヴェンの死後、遺品の中から発見されたそうです。ベートーヴェンは、かなり引越しをしていたのですが、この遺書を25年間ずっと大事に持っていたのだそうです。「ずっと遺書を持っていたってすごいよね。読み返したりしていたのかな」と松山さんも、かなり神妙な面持ちでコメントをしていました。
松山さんが、「自分も終活じゃないけれど、3年くらい前に遺言書みたいなものを書いたんです。いつ自分が死ぬかは、わからないじゃないですか。でも書き終わった時に、すごくスッキリしたんだよね。何も考えずに、これからの事に集中できるなと思って」と話していて、司会の2人も頷いていました。
ベートーヴェンは、この遺書から2年後に交響曲第3番「英雄」を作曲します。浄書譜(復元版)を見ますと、ナポレオンに捧げようと「ボナパルト」と名付けられていますが、音楽に革命を起こした作品です。番組では、3つの項目に分けて解説をしていました。
1つ目は、交響曲に題名が書かれていることです。当時、そのような習慣はなく、ある種タブーでもあったそうです。これまで、何かを彷彿とさせる音楽はなかったので史上初と言えます。
2つ目は、葬送行進曲が入っていることです。これまでに無かったことで、交響曲第3番の第2楽章がこれに該当します。葬送行進曲とは、葬儀の時に棺をもってお墓まで行くときの音楽です。松山さんも、「音だけなのに、明確なストーリー性があって、情景も思い浮かぶし、映画を見ているみたい」と話されていました。
3つ目は、史上初の試みとして3本のホルンを使用したことです。番組では、NHK交響楽団の3人のホルン奏者が登場して解説をしていました。「3本のホルンを使うんだという、ベートーヴェンの強い意志を感じますね。象徴的な部分がありますので…」とホルン奏者の木川さん方が実際に演奏を始めました。
演奏後、直ぐに清塚さんが、「これは相当凄いですね。モーツァルトとの頃から比べますと、ホルンの使い方が同じ楽器ではないという感じがしますね」と話していました。「3本のホルンを使う事で響きが豊かになるし、音域が広いところも特徴ですね。最後のところは、3オクターブくらい離れていますので、かなり画期的な使い方と思いますね」と木川さんも話していました。
「この曲の貢献として、後のスターウォーズ等につながるような、ヒーローものでホルンが登場することを決定づけたと思いますね」という解説に、なるほどと思いました。言われてみますとヒーローものの登場や、ここぞという場面でホルンの音がよく使われています。その先駆けが、ベートーヴェンの交響曲だったとは気が付きませんでした。
当所、ナポレオンに捧げようとしていた交響曲第3番ですが、その後ナポレオンが皇帝の座に就いたことに激怒して献呈を取りやめて、題名を「ボナパルト」から「英雄」に変更しました。番組では、ベートーヴェンが楽譜の「ボナパルト」と書かれていたところを消すために穴が開いてしまった楽譜を紹介していました。そのくらい、怒り心頭だったのでしょうね。
「ベートーヴェンのレボリューションが濃くて、めちゃくちゃ情熱を感じた」と松山さんも番組全体の感想を話していましたが、私も頷いてしまいました。この後、交響曲第5番「運命」、交響曲第9番、ピアノソナタ第23番「熱情」などベートーヴェンの代表作が次々と生み出される時代へと移ります。次回も、とても楽しみです。
(この記事は、2025年6月2日に配信しました第423号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、ベートーヴェンが作曲家になる過程のお話です。
クラシックTVというテレビ番組で、ベートーヴェンを取り上げていたので見てみました。この番組は、いつも清塚さんのピアノ演奏から始まるのですが、今回はベートーヴェンのソナタ「熱情」の演奏からスタートです。
ゲストは俳優の松山ケンイチさんで、清塚さんとは20代からの友人だそうです。そして、出会いのきっかけが、なんとベートーヴェン作曲のソナタ「熱情」だったのだそうです。映画「神童」の中で、松山さんが落ちこぼれ音大受験生の役をされた時に、清塚さんが吹き替えのピアノ演奏をしたのがきっかけです。松山さんは、この曲に耳に残る強烈な印象を持ったそうです。
松山さんは、「クラシック音楽を、普段聴きますか?」という問いに、「自分と向き合ったり、落ち着きたい時によく聴きますね。家族といるときは、夕飯の時にしょっちゅうクラシック音楽をかけていたりしていましたね。でも、そういう時は、モーツァルトを聴いています」と答えていました。すると、清塚さんが「これでしょ?」という感じで、モーツァルト作曲の「2台のピアノのためのソナタ」をいきなり弾き始め、松山さんは直ぐにタイトルを答えて、「よく聴いています」と答えていましたので、普段からクラシック音楽が好きな様子が伺えました。
ベートーヴェン作曲の「熱情」は、「食事の場にはねえ…」という清塚さんの問いかけに、「なんだか、ストイックにご飯を食べなくてはならない感じになるよね」と答えていて、番組内で大きな笑いが起きていました。
番組では、56歳で生涯を終えたベートーヴェンの、生まれてから29歳までを取り上げていました。交響曲第1番を作曲したのが29歳の時なので、「ベートーヴェンがどんな生い立ちで、どんな風に作曲に着手するのかに着目する」と清塚さんが説明しますと、もう一人の司会者の鈴木さんが、「メジャーデビューするまで、みたいなことですね」とコメントしていました。
そして、ベートーヴェンの生い立ちの話に進んでいきます。ベートーヴェンは、1770年にドイツのボンで生まれましたが、祖父は宮廷楽長、父親は宮廷歌手でした。音楽一家だった事がわかります。祖父は、最高位の宮廷楽長でしたが、父親は実力が足りなかったのか、宮廷楽長を引き継げませんでした。そんな中、ベートーヴェンは、4歳の頃から父親に音楽を学びますが、泣きながらピアノを弾くベートーヴェンを目撃した人もいたそうです。スパルタ教育だったようです。宮廷楽長になれずに酒浸りだった父親は、酔ってベートーヴェンを怒鳴りつけることもあったそうです。
そんな過酷な練習を乗り越えて、どんどん上達していき、7歳の時には初めてのリサイタルを行いました。番組では、当時の演奏会のポスターを紹介していましたが、年齢を1歳若い6歳と偽ってポスターを制作していました。父親が、息子のベートーヴェンをモーツァルトのような神童にしようと画策したそうです。
ここまでの話を聞いて、ゲストの松山さんが「難しいですよね。期待って、圧力と紙一重なところがあるから。自分は圧力をかけるタイプだけれど、自分の子供が嫌だなあとか様子がおかしいとか観察して、緩ませるところと圧をかけるところの境界線は日々変わるので、その調整をしていくことが大事だと思います。なので、ベートーヴェンのお父さんも、一緒にピアノを弾けばいいのにと思いますね。自分が弾いて、楽しそうな姿を見せればいいのにと。ベートーヴェンと連弾とか一緒にやったら、もうちょっと違う感覚や発見があったのかもしれないと思いましたね」とお話しされていて、なるほどと頷いてしまいました。
それを聞いた鈴木さんが、「もし、ベートーヴェンがそういう育ち方をしていたら、作風が絶対に違っていましたよね」というコメントもされていて、なかなか複雑な感じがしました。
ベートーヴェンが12歳の時に、遂に才能が評価されます。音楽シーンを記録した本に、「極めて有望な才能の持ち主」「必ず第2のモーツァルトになるだろう」と大絶賛されたそうです。
番組では、ベートーヴェンの師匠である、ネーフェ先生に話が移っていきました。ネーフェがいなかったら、ベートーヴェンはいなかったというくらいの恩人だそうです。ライプチヒの音楽学校で学んだネーフェは、29歳の時にライプチヒの劇団の音楽監督に大抜擢されますが、劇団が破産して困っていたところに、たまたまボンの劇場からオファーがありました。そのためボンに移住し、当時10歳だったベートーヴェンを教えることになります。「恩人に出会うなんて、本当に運命だと思いますね」という清塚さんのコメントに、松山さんも大きく頷いていました。
そして、ネーフェのベートーヴェンに対する最大の功績は、バッハを教えたことと、ベートーヴェンの個性を尊重したことです。当時バッハは、世間から忘れられていたのですが、ネーフェ自身もバッハと同じライプチヒ出身という事もあり、バッハの音楽を学んでいたそうで、ベートーヴェンにもバッハの「平均律クラヴィーア曲集」を教材として与えていました。この曲集は、クラシックの音楽家にとって旧約聖書とも呼ばれ、厳格で無駄がなく、色気で感動させるというよりも、音楽の神髄を教えるような曲集で、ベートーヴェンは徹底的にこの曲集を学び、生涯参考にしてたそうです。
ネーフェが、ベートーヴェンの個性を尊重した証としては、12歳のベートーヴェンの作品「選帝侯ソナタ 第1番」が紹介されていました。「当時、貴族に対して品の良い音楽を作曲して演奏していた時代に、ベートーヴェンはガンガン進むような曲を書いていたわけです」と清塚さんが話しますと、松山さんも「選帝侯ソナタは、草原を走り回っている野生児って感じがするよね」答えていました。「気品とういよりも、行っちゃえ~というノリで、後のベートーヴェンの勢いがある音楽を、既にこの時にもうやっている。先生によっては、君そういうのではなくて、もっとモーツァルトみたいな貴族にウケる品の良い音楽を作れるようになりなさいと言ったかもしれない。でも、ネーフェ先生は、こういうベートーヴェンの個性を決して潰さずに、いいねいいねと、そのままやらせたのが、後のベートーヴェンに繋がっていったのですね」という清塚さんの解説に、「本当に出会いって大切ですね」と、鈴木さんも感慨深そうに感想を話していました。
ベートーヴェンが16歳の時には、ネーフェの取り計らいでウィーンへ留学します。当時、ウィーンは芸術の都で、世界中のあらゆるものが集まってきていました。しかし、心から慕っていた母親の危篤の知らせを受けて、たった2週間で帰郷することになります。母親はその後亡くなりますが、その影響で父親は働く意欲がなくなり、幼い弟たちも養うために、若くして一家の大黒柱として働き詰めの生活を送ることになり、2年もの間作曲することができませんでした。
そんなベートーヴェンの才能をなんとか世に出そうと、地元ボンの貴族たちが金銭面から人脈まで支援したそうで、そのおかげで当時音楽界のドンであったハイドンに出会うことになります。ハイドンが、ボンを訪れた時にベートーヴェンと会い、ウィーンに来て自分の元で勉強しないかと勧められ、再びウィーンへ行きハイドンに弟子入りします。24歳の時に、そのウィーンで初めてのピアノソナタを作曲しました。このピアノソナタ第1番は、ウィーンの耳の肥えた聴衆に勝負を仕掛けた1曲と言えます。これまでに無い斬新なスタイルのピアノソナタ第1番に、聴衆はとても驚きました。「出だしの音楽から、ピアノというよりもまるでオーケストラを聴いているかのような音楽で、ピアノソナタが後のオーケストラ作品のスケッチのようにも見えてくる。そして、12歳で作曲した「選帝侯ソナタ」にあった勢いや、ベートーヴェンらしさが無くなっていないので、当時センセーショナルだったそうです」との清塚さんのお話に、松山さんも頷いて聞いていました。
ベートーヴェンは、ウィーンに来て8年の間に、10曲以上も作曲をして、29歳の時には初めて交響曲も作曲します。1800年に初演を行いましたが、番組では当時のプログラムを解説していました。1曲目にモーツァルトの交響曲、2曲目に師匠ハイドンの曲、一番最後にベートーヴェン自身の交響曲第1番という曲目です。このプログラム順に、「結構大きく出たよね」「凄いプレッシャーを感じそう」「モーツァルトとハイドンからバトンを受けて、時代は俺だろという、そういう宣言をしたようにも思えますね」など、いろいろな感想や意見が出ていました。
番組最後には、「ベートーヴェンの第9番とか熱情とか、一度も出てこなくて、みんなが知らないベートーヴェンを知ることができたので、すごく面白かったし、もっともっと深堀りしたくなりましたね」と松山さんも感想を述べていました。鈴木さんも「エンターテイメントの世界では、才能を生かすも殺すも環境と出会う人次第ということを、すごく感じましたね」とコメントをしていました。
ベートーヴェンのあまり知らなかった部分を知ることができて、とても興味深い内容でした。
(この記事は、2025年5月19日に配信しました第422号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、ヘンデルのお話です。
クラシックTVという番組で、ヘンデルを取り上げていたので見てみました。ヘンデルは、バッハと同い年で同じドイツの出身、バロック期の代表的な音楽家です。とは言っても、「名前は聞いたことがあるような…」という方が多いかもしれません。
いつものように、清塚さんのピアノソロで番組は始まりましたが、ヘンデルがテーマなので「見よ 勇者は帰る」が演奏されました。よく表彰式で流れている音楽です。司会の鈴木さんも演奏が終わると、「おめでとうございます!という感じですね」と早速感想を話されていました。清塚さんも、「すっごくいい曲をたくさん書いているので、ヘンデルとお近づきになってもらいたい」とコメントされていました。
番組では最初に、300年前のヘンデルの時代の古楽器を使用した特別なオーケストラである、バッハ・コレギウム・ジャパンがゲストとして紹介され、ヘンデル作曲の「戴冠式アンセム」から「祭司ザドク」を演奏していました。演奏中に、いろいろな楽器の演奏者がアップで映し出されていましたが、古楽器のオーケストラなので普段見る楽器とはだいぶ形状が異なるシンプルに作られた楽器がいろいろあり、見ていても楽しめました。
演奏後、清塚さんも「カッコいい~」と感想を言いつつ、ゲストの秋元さんにも「素敵なサウンドだったでしょ?」と尋ねていました。秋元さんも、「豪華で贅沢な時間でした」と、にこやかな表情で感想をお話しされていました。バッハ・コレギウム・ジャパンの創設者で指揮をしていた鈴木雅明さんも、紹介されました。バッハ・コレギウム・ジャパンは、バッハを演奏するアンサンブルで、古楽器を使って300年前のサウンドを追求し、バッハが目指した音楽に迫ろうと挑戦を続けています。
「古楽器で演奏すると、現在の楽器と比べて、どういう音の違いがありますか?」という質問に、バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木さんは、「シンプルな音色になり、威圧的でなく、強く弾いてもふくよかさがある」と答えていました。「楽器の音も、人間の声みたいな混ざり方がしますね」という司会者の感想に、バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木さんが即座に頷きながら、「素晴らしい指摘です。正に、そのようなことを目指しています」と答えていました。
どうしてヘンデルの演奏に、バッハ・コレギウム・ジャパンを招いたのかという疑問が湧きますが、バッハとヘンデルは全く同じ時代を生きた人物で、ヘンデルの生い立ちについて、バッハと比較しながら説明がされました。ヘンデルは、1685年2月23日に、ドイツのハレという地域で生まれました。バッハは、アイゼナハという地域で、同じ年の3月31日に生まれています。かなり近い地域で、誕生日もかなり近いということになります。
性格については、バッハは真面目で職人かたぎ、ヘンデルは社交的で好奇心旺盛、人付き合いがとても上手だったようです。活躍の場は、バッハは生涯ドイツ国内で宗教音楽家として、ヘンデルはオペラの作曲家としてイタリアやイギリスで活躍しました。
番組では続いて、ヘンデルの活躍ぶりをボードを用いて説明していました。
活躍その1は、19歳で初めて書いたオペラ「アルミーラ」がドイツで成功します。「恋のもつれという内容で、バッハに比べて俗っぽくて話も面白く、親しみやすいですね」と清塚さんがお話され、バッハ・コレギウム・ジャパンの巣月さんも、「バッハは、とても理知的で理論的に突き詰めていくようなところがあるけれど、ヘンデルは、理論的に突き詰め始めるけれど、直ぐにみんながわかる様に易しくしちゃうところがありますね」と解説をされていました。清塚さんが再び、「演奏する側からいうと、ヘンデルの音楽は拍手が欲しそうな音楽ですね。エンタメというのか…」とお話をされていました。
活躍その2は、オペラの本場イタリアで活躍するもイギリスに渡ります。ヘンデルは、オペラ発祥のイタリアで腕を磨き、本場でも高い評価を受けるまでになりましたが、しかし本格的な活躍の場として選んだのはイギリスでした。当時イギリスは、経済の発展が目覚ましく、多くの人と莫大なお金が流れ込んでいて、そこにヘンデルは目を付けたそうです。
活躍その3は、イギリスで初めて書いたオペラ「リナルド」が大成功し、イギリス王室にも認められ親密になりました。イギリス国民が、イタリアオペラを楽しめるようになったのは、ヘンデルの功績なのだそうです。「ちょっと魔法が出てきたり、ファンタジックなオペラですね。難しいことを言うより、こういう娯楽的なことがイギリス大衆に受けたのかなと思いますね」と清塚さんが解説をされていました。「音楽を消費する、楽しむという、多くの人が音楽に興味を持ってくれる力がすごいんですよね」とバッハコレギウム・ジャパンの鈴木さんもコメントされていました。
「当時、ヨーロッパは宗教色が強かったが、そこに凝り固まらず、エンタメ性にヘンデルは着目していたということですね」と、再び清塚さんが話しますと、「ヘンデルのアンテナは鋭いですね」「プロデューサーとしても、凄い手腕が問われるところですね」と、番組内でも感想が飛び交っていました。そして、イギリスで大成功を収めたヘンデルは、持ち前の社交術でイギリス王室とも親密になっていったのだそうです。
番組では、そのイギリス王の舟遊びのために作曲された「水上の音楽」の演奏がありましたが、耳に残るメロディーで、このキャッチーなメロディーこそがヘンデルの音楽の魅力であると解説がされていました。「ヘンデルは、イタリアでオペラを学んだので、楽器の曲も歌のような感じがあり、メロディーがすごく美しかったり楽しかったりするから、親しみやすいんです」と清塚さんの解説もありました。「メロディーのきれいさの鉄則というのは、同じことをしないということで、予測を裏切って動く方がきれい。そして、裏切って動いた後に、同じ形のメロディーが戻って来る。そしてヘンデルの良いところは、装飾に遊び心があるので、音楽がきれいなだけじゃなく、色っぽくなる。美メロの第1人者ですね」と清塚さんが、ヘンデルの代表作である「オンブラマイフ」をピアノで弾きながら解説をしていて、とても分かりやすかったです。
ヘンデルについて、ここまで解説している番組は無かったので、とても興味深く見ることができました。とても聴きやすく美しい音楽なので、久しぶりにもっと聴きたくなりました。
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