謹賀新年 2022


2022年1月11日

明けまして、おめでとうございます。今年も、よろしくお願いします。

今年2022年にメモリアルイヤーを迎えるクラシックの作曲家は、生誕200年を迎えるセザール・フランクと生誕150年を迎えるアレクサンドル・スクリャービンが挙げられます。

セザール・フランクは、1822年にベルギーで生まれました。お父さんからリストのようなピアニストになるべく英才教育を受け、パリ音楽院でピアノのほか作曲やオルガンも学びました。教会のオルガニストやピアノ教師、パリ音楽院の教授なども務め、作曲活動も行っていました。ヴァイオリンソナタなどが大変有名です。

アレクサンドル・スクリャービンは、1872年にロシアで生まれました。モスクワ音楽院でピアノや作曲を学びます。同級生にはラフマニノフがいて、ピアノ科の卒業試験ではラフマニノフに次いで第2位だったそうです。

超絶技巧の曲を無理に弾き続けたせいで右手首を故障し、それがきっかけで作曲にも力を入れるようになったそうです。モスクワ音楽院の教授なども務めました。ピアノの巨匠ホロヴィッツの才能を見抜き、彼がピアノを始めたばかりの頃に、早く本格的なピアノ教育を受けさせるように母親に助言したそうです。スクリャービンの助言がなかったら、ピアニストとしてのホロヴィッツは誕生しなかったかもしれませんね。

フランクもスクリャービンも、なかなか弾く機会が無いかもしれませんが、記念の年なので、これを機にまずは彼らの音楽を聴いてみるところからスタートしてみてはいかがでしょうか。新たな音楽との出会いが、音楽の奥深さを感じさせてくれるかもしれません。

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(この記事は、2021年12月20日に配信しました第337号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、年末のピアノ教室の様子です。

今年も、残すところ10日余りとなりました。今週末にはクリスマス、それが終わるとあっという間に大晦日、そしてお正月です。もう既に、今年最後のレッスンを終えて、「よいお年を」とご挨拶した生徒さんもいらっしゃいます。

今年は、昨年のようにコロナウイルスの影響でレッスンが休講になることもなく、発表会やイベントも、参加人数や進行を変更し簡素化してではありますが再開されました。レッスンは、相変わらずマスクを着けたままで、生徒さん方には引き続きご協力を頂いています。

このような状況の中でも、いや、このような状況だからこそかもしれませんが、ピアノを習い始めたいという方もいて、今年になって教室に入会された方もいらっしゃいます。

最近入会された80代の生徒さんは、以前からピアノを独学で練習されていたようですが、なかなか思うように弾けず入会されました。現在は、練習曲で指を動かす訓練をしつつ、大好きな曲を少しずつ練習されています。生真面目な性格で、いつも真剣な表情でレッスンにいらしていましたが、徐々に教室に通われることやレッスンにも慣れていただいたようで、やっと笑顔が見られるようになり、私もホッといているところです。

近年は、80代の生徒さんも多くなり、子供の頃に習っていた経験者だけでなく、初めてピアノを弾く方も少なくありません。ご自身より少し年齢が高い生徒さんのお話をしますと、特に意識されるようで、「87歳の方がレッスンに通っているなんて、自分もまだまだ負けてられませんね」などと感想をお話されます。個人レッスンなので、なかなか生徒さんどうしで会う機会がありませんが、お話を通してモチベーションがアップされればと思っています。

ご夫婦で、ピアノを始めた生徒さんもいます。奥様は初心者で、ご主人様は小さい頃にピアノを習ったことがある方です。奥様の方は、ピアノを弾きながら、「あーーっ!」とか「う~~~っ!」など少し格闘しながら、でもいつも楽しそうにピアノを弾いています。そんな様子を後ろから笑いながら見ているご主人様も、いつもレッスンに同席されていて、「いつも一緒にレッスン室に入っていて、仲良しのご夫婦で羨ましいわよね」と受付のスタッフさんも感心しているほどです。

ご主人様の方は、小さい頃に習っていたので指は動くのですが、いつも少し焦ってしまうのか、指が空回りしている感じで惜しいなあと思っていました。しかし、段々と指のコントロールが付いてきて、落ち着いて弾けばきれいに弾けることを理解し、なんとなく感覚で弾いていたところも、理論的に音や和音の進行などに目を向けて弾くようになってきたので、だいぶミスも減ってきました。

レッスンで扱っている曲だけでなく、ご自宅でもお好きな曲を練習しているようですし、ご夫婦共にグレード試験などにも興味を持ち始めているので、来年は発表会などにも積極的に参加されるのではないかと思っています。その際は、ご夫婦での連弾の話をすると、奥様も参加しやすくなると思いますし、なにより心強いのではないかと思っています。

最近、体験レッスンに来られた生徒さんは、7歳の小学1年生のお子様です。幼稚園生の時からピアノを習っているそうですが、楽譜が読めないのが生徒さんのお母様の悩みなのだそうです。使用している楽譜を見ますと、カラフルに音符が塗られていて色分けされていましたし、ワークを見ますと、もう何年もピアノを習っているのにドとレをたくさん書いて練習しているようでした。教材も4冊持ってきていて、ピアノの先生も2回変わっているのだそうです。

個人レッスンですと、どうしても先生との相性もあり、途中で先生が変わることは致し方ない面もありますが、先生によってレッスンの進め方などもかなり異なり、慣れるだけでも時間がかかりますし、7歳という低年齢では混乱することもあるのではと少し不憫に思いました。

「楽譜が読めない」という表現は、割とよく使われますが、どのようになると「楽譜が読める」と言えるのか明確な基準があるわけではありません。おそらく、パッと見たことのない楽譜を広げて、ド・ソ・ファのシャープなどとすらすら音が読めることが、「楽譜が読める」事と思われているのかもしれませんが、それは、相当に高度なレベルで、小学校低学年では無理があります。

小学校低学年では、ピアノを弾くたびに、「この音なんだっけ?」と思いながら、音を数えて、弾く鍵盤を確認して音を出している方が圧倒的に多いと思います。そのため、体験レッスンでは、音がどのくらい把握できているのかを見つつ、正しい音の読み方がどれだけ身に付いているのかも見てみました。そうしますと、少し練習をしている曲については、音は覚えていましたし、ぱっと見たときに音がわからない場合の音の読み方なども適切にできている事がわかりました。もう少し早く音が読める方法についても説明をして、一緒に練習もしてみました。

お母様には、楽譜が読めないという事はなく、ごく一般的な状況である事、正しい音の読み方が身に付いている事、逆に、良くない音の読み方の癖などは付いていない事をお伝えし、少し早く音が読める方法とそのデメリットについても説明をしました。小さい生徒さんですから、これからどんどん成長できると思いますので、自信を持ってピアノを続けてもらいたいと思います。

先日、グランドピアノと防音室を購入された小学3年生の生徒さんは、ようやくグランドピアノと防音室の設置が終わったそうです。ピアノが大好きな生徒さんなので、きっと、ますます張り切ってピアノを弾いるのかなあと思っていましたが、お母様から、「ピアノをもっと勉強したいから、音大に行きたい。ピアノも週に2回レッスンをしたいと言っているのですが、そんなことできるのでしょうか」というお話を頂きました。

「そうなのですね。小学3年生で、将来の目標を見つけて頑張ろうなんて凄いわね~。私も応援するからね」と答えました。

「音大を目指すなら、ソルフェージュというものが必要だと聞いたのですが…。まあ子供ですから、考えが変わるかもしれませんが…」ともおっしゃっていました。

「週に2回レッスンは可能です。これまでに週に2回、計4コマ(2時間)のレッスンを受けて音大に合格した生徒さんがいらっしゃいます」とお話して、早速来年1月から週に2回レッスンを行う事になりました。

これからは、ピアノのテクニックやソルフェージュなど、いろいろと力を入れてレッスンするものが増えてきますが、ピアノが好きで楽しいという気持ちを大切にすることも忘れずにレッスンを進めていこうと思います。

生徒さん方それぞれが、レッスンを通して今年一年楽しく有意義にピアノと関われたら幸いです。今年最後のレッスンも、しっかりと気持ちを込めて行っていきたいと思います。

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(この記事は、2021年12月6日に配信しました第336号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、ピアニスト反田恭平さんのお話です。

「情熱大陸」というテレビ番組で、ピアニストの反田恭平さんを取り上げていたので見てみました。

反田恭平さんは、以前から人気のピアニストではありましたが、今年(2021年)10月に開催されたショパン国際ピアノコンクールで、「51年ぶりの日本人の快挙」として、すっかり有名人になりましたね。51年前の1970年に、内田光子さんがショパンコンクールで第2位になったわけですが、反田さんは、この内田光子さんと並ぶ第2位で、歴代の日本人で最高位となります。

ちなみに、内田光子さんは、モーツァルトやシューベルトの演奏が世界的に大変評価が高く、日本芸術院賞、文化功労者、大英帝国勲章を授与され、エリザベス女王から称号を授かったり、高松宮殿下記念世界文化賞、グラミー賞を2回受賞されるなど、世界の巨匠ピアニストの一人です。

番組では、ショパンコンクール中の反田さんの密着映像がたくさん流れ、コンクールでの演奏だけではわからない舞台裏をたくさん知ることができて、大変興味深いものでした。

ファイナルでのピアノ協奏曲第1番の演奏から番組はスタートしました。しなやかな指運びと、オーケストラとの共演を誰よりも楽しんでいるような表情で演奏され、反田さんが最後の音を弾き終わると、オーケストラの演奏がまだ終わらないうちに拍手喝さいで、スタンディングオベーションが起き、会場中が大盛り上がりになっていました。

審査結果発表では、名前の発音が聴き取りにくかったせいか、反田さんはよくわからないような反応をしていましたが、周りのコンクールファイナリストたちから声をかけてもらうと、「えっ? 私が2位? 本当?」と言っているかのようなリアクションをされていて、本当に思いがけない高評価に驚かれている様子でした。

冒頭でも書きましたが、反田さんは既に人気ピアニストですから、ショパンコンクールの参加者リストに反田さんの名前が書いてあった時には、本当に驚きました。コンクールは、これからピアニストとしてやっていきたい人達が、箔を付けるためのものですから、反田さんにはもう必要ないと思えたからです。

もちろん、良い結果が出れば、人気だけではない実力の証明となりますが、3次予選どころか1次予選で敗退にでもなれば、コンクールへの参加は逆効果となり、ピアニストとしてやっていけなくなる可能性すらあります。反田さんの場合、おそらくファイナリストになったくらいではダメで、3位以内くらいでないと良い結果とは見てもらえない感じさえしました。これは、相当なプレッシャーとなりますが、それを乗り越えての第2位は素晴らしいですし、本当に日本中が沸き立ち、コロナ禍で暗かった空気を一変させるような嬉しいニュースとなりました。

舞台に出た瞬間からインパクトを与えられるような人にならなくてはと思い、日本人だからサムライと呼ばれるようにヘアスタイルを決めたり、ショパンの故郷であるポーランドに4年前から留学し、なるべく長くピアノが弾ける物件を探して、隣の部屋の人達には「ショパンコンクールに出るので」と伝えて、長時間の練習に理解が得られるように努めたり、ショパンの音楽をより美しい音で奏でられるように、一回り体を大きくし、歴代の入賞者の演奏を分析して、ショパンの研究書も読み込み、入念な準備をされてきました。

3次予選の演奏を終え、楽屋に戻る反田さんの映像では、少し笑顔を浮かべた後、弾き切ったという達成感ではなく、「やってしまった」というような曇った表情を浮かべていました。その後のインタビューでは、「気持ちも指も空回りしてしまった。いつも弾けていたのに…。コンサートでも20回以上弾いていたから、寝ていても弾けるのに、本番になった時だけ弾いている感覚が全くなく、演奏が終わってしまい、終わった…」と話していました。後悔の残る演奏だったので、号泣していたそうです。

ショパンコンクールの少し前、6月にベルギーで開催された「エリザベート王妃国際音楽コンクール」で第3位になった、反田さんの大親友の務川慧悟さんの前で、ショパンの練習曲を1フレーズ弾いた反田さんが、「弾けるんだよ。でも、コンクールじゃ弾けないんだよ」と話すと、務川さんが笑って、「そんなもんだよ」と答えている所も印象深いシーンでした。

また、ゲン担ぎの勝負パンツの話もしていました。集中できるパンツと、楽しく弾けるパンツというものがあるのだそうです。「ファイナルでどちらを履くべきか。楽しいパンツを履くと、本当に楽しかった、やったーで終わると思うけれど、たぶん、集中できるパンツよりも順位は下になっちゃうと思う。集中できるパンツは年季が入っちゃって、自分で縫って補修しているの。2枚履くか…」。ピアノが上手なだけではない、反田さんの面白い性格が垣間見えた気がしました。ちなみに、ファイナルでは、集中できるパンツを履いたそうです。

生徒さん方や、私もそうですが、練習ではすらすら弾けていたのに本番に限ってミスをしたとか、調子がイマイチだったという事がありますが、このような人気ピアニストでさえ、同じような事が起こるんだなあと大変印象に残りました。これを励みに、今後の発表会やコンサートの本番も臆することなくチャレンジしたり、緊張してコントロールが効かなくなっても、何とかなるだけの実力が付くように、日々の練習やレッスンを行っていきたいと思いました。

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