(この記事は、第287号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、「宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓」という本のお話です。

最近は、インターネットでなんでも買える時代で、楽譜もポチッとクリックすると、あっという間に自宅に届くようになりました。随分と便利な世の中になったものです。

それでも、外出がてらに、ちょっと楽譜屋さんに立ち寄ることも少なくありません。買うものは決まっていますから、迷わず手に取るわけですが、そのついでに辺りを見渡しますと、実にいろいろなものが目に付くわけです。

先日も、面白そうな本に出合いました。「宮廷楽長サリエーリのお菓子な食卓」という本で、つるつるとした光沢感のある表紙には、濃厚で高級感がありそうなチョコレートケーキの写真が大きく載っていて、サブタイトルには「時空を超えて味わうオペラ飯」などと書いてあります。手に取らないという選択肢は、ありません。

サリエーリという名前を見て、ピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんが、モーツァルトの宿敵?!とも言われる音楽家です。

サリエーリの晩年は、モーツァルトを毒殺した疑惑の人として世間から見られ、死後には、ロシアの作家プーシキンが、劇詩「モーツァルトとサリエーリ」で、モーツァルトの音楽の才能に嫉妬した暗殺者として登場させています。

その後、この作品を使いロシア5人組のリムスキー=コルサコフが作曲したオペラ作品や、イギリスの劇作家ピーター・シェファーの戯曲「アマデウス」、そして映画「アマデウス」でも、どれも見事に悪名高い人物に仕立てられてしまっています。

そんな、ダークなイメージのサリエーリですが、本当はどんな人物だったのか、興味深く読んでみました。

サリエーリは、イタリアのベネツィアで生まれ、オペラを40作品も作曲し、ベートーヴェンやシューベルトなども教えていました。この本では、彼の周囲の人々のエピソードと、彼らが実際に食べたものや、食べたと推測される料理、またオペラに登場する料理を多数取り上げています。

サリエーリは、幼い頃から、鍵盤奏者やヴァイオリニストとして活躍していた一番年上の兄から、音楽を習っていました。

教会のお祭りで行われるコンサートを聴くのが、なによりの楽しみで、お兄さんが演奏者としてコンサートに招待され、馬車で向かう際に、馬車の席が空いていると、サリエーリも連れて行ってもらっていました。

しかし、ある時、教会の完成祝いがあり、お兄さんは馬車で向かうのですが、馬車の席には空きがありません。それでも、サリエーリはどうしても行きたくて、両親に無断で、馬車を追いかけて歩いて向かったのです。コンサートが終わり帰宅しますと、両親はカンカンに怒っていました。

父親は、「もし、また無断で外出したら、罰として1週間食事は水とパンだけで、部屋から出られない生活にするぞ」と言います。後になって、サリエーリは、当時の気持ちを次のように話しました。

「こんなにも美しい音楽を聴くことができるのなら、パンと水だけで過ごす罰は、それほど酷いものではない。それに砂糖があれば、パンだけでも他の料理と同様に喜んで食べますよ。これからは、砂糖の入手に励み、備蓄に努めようと思いました。」

サリエーリが、どれほど音楽好きなのか、よくわかるエピソードですが、懲りずにまた(無断で)コンサートへ行こうという執念だけでなく、砂糖への執念も感じます。

サリエーリは、せっせとクローゼットに砂糖を貯め込み、準備に励みます。そして、教会のミサの後、お兄さんが出演するコンサートに歩いて向かうのです。しかし、途中で見つかってしまい、自宅に連れ戻され、鍵のかかった部屋でパンと水だけの生活になりました。

サリエーリは、その部屋で本を読み、クラヴィ─ア(鍵盤楽器)を弾きながら、「自分がやったことは悪くない。教会音楽が好きだという純粋な行動なのだ」と自分に言い聞かせたそうです。

ちなみに、クローゼットに備蓄しておいた砂糖は、妹に話していたため両親の知るところとなり、あらかじめ回収されてしまっていたそうです。

結局は、事の重大さを思い知り、父親の許しを受けて、罰は解かれたそうですが、友人たちに広く知れ渡り、からかわれていたそうです。

その後月日は流れ、大人になったサリエーリは、宮廷楽長の地位につき、50人編成の宮廷楽団を監督し、宮廷オペラのイタリア劇団部門を運営するなど、かなり忙しい日々を送りました。

お弟子さんたちに音楽を指導していましたが、その中にはベートーヴェンやシューベルトもいました。

ベートーヴェンは、慈善演奏会でサリエーリの指揮の下、自作のピアノ協奏曲を演奏し、その後、サリエーリに「3つのヴァイオリンソナタ作品12」を献呈して、正式に弟子になったのだそうです。

一癖も二癖もあるベートーヴェンなので、サリエーリとぶつかることもあり、不仲だったと伝記に書かれることもありますが、コンサートでベートーヴェンが指揮をしている時に、副指揮者を務めるなど、ベートーヴェンに対して助力を惜しまなかったとも言われています。

シューベルトは、サリエーリが晩年に指導した弟子となります。シューベルトは、ウィーン少年合唱団のメンバーだったことでも有名ですが、当時、帝室宮廷礼拝堂の聖歌隊員(ウィーン少年合唱団)の欠員募集の広告が新聞に出たことを知り、シューベルトの父親が息子に応募させたのです。この時の審査員の一人が、サリエーリでした。「ソプラノでは、シューベルトと〇〇が一番良い」と評価をしたそうです。

シューベルトは、見事に合格してメンバーとなりますが、基礎的な教育の他に、歌唱、ピアノ、ヴァイオリンの授業でも常に優秀な成績を修めました。この頃には、管弦楽曲やドイツ語の歌曲を作曲していました。

サリエーリは、シューベルトの作品を数曲見て、彼の才能にいち早く気付きます。

当時、シューベルトは寮生活をしていたのですが、寮の外出禁止の規則を特例で免除してもらい、週に2回サリエーリの自宅でレッスンを受けるようになります。サリエーリは、60歳を超えていて、シューベルトは15歳でしたので、親子以上の年齢差がありました。

シューベルトは、サリエーリに強い尊敬の念を持っていたようで、彼のいろいろなメモに、わざわざ「サリエーリの生徒」と書き記していました。

サリエーリは、「シューベルトは、なんでもできます。オペラでも歌曲でも、四重奏でも、交響曲でも、作曲したいと思ったものは何でも作曲します」と言っていたほど、シューベルトの音楽の才能を高く評価していました。素晴らしい師弟関係ですね。

サリエーリは、時々レモネードを売っている屋外販売店でアイスクリームを買い、シューベルトにごちそうしていたそうです。現在の価格に直すと、500~1500円くらいなので、シューベルトにとっては、贅沢だったのではないでしょうか。

この本には、当時のアイスクリームのレシピも掲載されていますが、かなりシンプルな材料で作られているので、素朴な味わいなのかなと想像しています。これなら、年末年始にお子様と一緒に作れそうです。

サリエーリは、13歳ごろに両親を亡くし、苦労して宮廷楽長にまで上りつめたのですが、周りの人々の助けがあったからこそと思っていたようで、才能溢れる若者には、惜しげもなく、無償で個人レッスンを買って出ています。

フランス王室から勲章も授与され、ウィーンで活動して50周年の時には、お弟子さんが集めって企画した祝賀コンサートが開かれています。こんな人物が、どうしてモーツァルトの毒殺者にされてしまうのか、逆に疑問にさえ思ってしまいました。

歴史の新たな真実を知りながら、当時の食文化も学べる、大変面白い本でした。

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