(この記事は、2023年5月1日に配信しました第371号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、芸術の都パリのお話です。
「クラシックTV」というテレビ番組で、「アンミカさんと!芸術の都パリ」というタイトルのエピソードが放送されていたので見てみました。コロナの影響で、海外旅行へ行けない状況がしばらく続きましたが、このような番組で旅行へ行った気分に浸れたら嬉しいですね。
番組の司会者でもある、ピアニストの清塚信也さんが弾く「オー・シャンゼリゼ」の音楽から番組はスタートしました。もう一人の司会者である、歌手でモデルの鈴木愛理さんも、にこやかな笑顔で音楽に耳を傾け、「パリに行った気分!」と感想を話していました。番組のテーマがパリなので、パリと言えば誰もがイメージする音楽ですね。
番組のゲストは、パリコレのモデルをされていたアンミカさんで、パリコレのランウェイでのウォーキングを見ているかのような、きれいな歩き方で登場しました。
パリと言えば、「芸術の都パリ」という事で、音楽、美術、グルメ、ファッションなどが有名ですが、このような大都市になったきっかけは、フランス革命だったようです。「今では当たり前ですが、自由・平等というものは、この革命の時の人々のおかげですね」とアンミカさんがコメントされていて、司会者のお二人も頷いていました。この革命後、パリは人口が爆発的に増えて、新しいものが生まれていったという経緯があるのですね。
その中で、才能ある芸術家たちもパリに集まってきて、サロンで活躍をしていました。サロンは、芸術家たちが自分の才能を売り込む場でもあったのです。「サロンって、感化されたり刺激を受けて、切磋琢磨していった場でもあったんですかね」「サロンなくしては、その後の文化も生まれないものがいっぱいあったんじゃないかな。ハイクラスなホームパーティーとも言えるかな」「ホームパーティーと思うと、親近感が湧きますね」と、次々にコメントと笑いが飛び出していました。
このようなサロンを上手に利用していた音楽家として、ショパンの話題へと移りました。ショパンは、コンサートホールなどでの演奏は数えるほどしか行っておらず、サロンを一晩に何軒もはしごして生きていたのだそうです。ショパンと、ショパンのライバルであり親友でもあったリストが、サロンで弾いていた曲を番組で紹介していました。
ショパンの「ノクターン作品9-2」の演奏では、ピアニストの仲道郁代さんが、ショパンが当時愛していたプレイエル社のピアノで演奏していました。えんじ色っぽい木で作られたピアノで、ピアノ側面の金属の装飾や譜面台の透かし彫りがとても美しく、少し素朴な雰囲気のある音色が印象的です。清塚さんが、「ショパンの作品は、曲によっては大ホールで弾くと合っていないなあと思う事があり、もっと演奏者の近くで聴いてもらう音楽だなあと思う事が多々あります。繊細な強弱の違いとかを、堪能していただきたい」とピアニストならではのお話をされていました。ちなみに、この作品はショパンのパリでの生活を支えたマリーへ捧げられた音楽です。
また、リストの「セレナード」は、シューベルトの歌曲の作品をリストがピアノ曲に編曲したものですが、当時のサロンでは、ワインを飲みながら、また会話を楽しみながら思い思いに耳を傾けていたようです。ショパンがパリに来た当時、既にリストはサロンの大スターでした。ショパンは神経質な性格もあり、なかなか苦戦していたようですが、リストは、そんなショパンをいろいろと支援して、社交界にもデビューさせてあげたようです。ショパンの才能を高く評価していたのですね。
ショパンやリストは、19世紀の作曲家ですが、20世紀に入ってもサロンの文化は続きます。フォーレは、サロンの女性たちに旅費を出してもらったり、ラヴェルがローマ賞に応募して予選落ちした時には、サロンの女性たちが新聞の紙面で非難をして、炎上させたこともあったそうです。貴族や富裕層の芸術家たちだけで、芸術論をぶつけ合うようなサロンもあり、音楽家としては、その唯一のメンバーがドビュッシーでした。そのサロンでは、物事を断定的に捉えず、曖昧さなどを好んでいたそうで、ドビュッシーの作品作りにも大きな影響を与えました。確かに、ドビュッシーの音楽は、浮遊感やグラデーションのような雰囲気があるように思えます。
アンミカさんも、「眠気のような、けだるさのような、でも心地よいような」と例えていましたし、清塚さんは、「物事をはっきりと断定的に言わないけれど、でもしっかりとした背景や物語がある。ドビュッシーは、そういう事を音楽で表現する天才だと思う。そして、私たちが思うフランスらしい音楽というのは、こういう音楽を指すことが多い」とも話していました。
サロンに入れるような後ろ盾が無い芸術家や、サロンで求められる華やかさや堅苦しさを嫌う芸術家たちは、カフェやキャバレーへと向かいます。そこでピアノを弾いていたのが、サティです。異端児とも呼ばれたそうですが、ドビュッシーやラヴェルも影響を受けており、ドビュッシーはサティの「ジムノペディ」がとても気に入り、オーケストラ用に編曲したくらいです。
いろいろなジャンルの芸術家が集まると、コラボレーションも生まれるもので、1924年に上演されたバレエ「青列車」は、衣装デザインをガブリエル・シャネル、舞台担当をジャン・コクトー、音楽をダリウス・ミヨー、舞台の幕を描いたのはパブロ・ピカソと、ありえないくらいの豪華メンバーで作られています。若者のトレンドを描いたバレエで、番組でも映像が流れましたが、私達がイメージするバレエとは全く異なり、「こんなバレエは見たことがない!」というほどの斬新さで、大変すばらしいものでした。「今見ても、モダン!」と、アンミカさんが話すほどです。
新しいものを見せていくのが、当時のパリのトレンドであり、パリで初演や発表することはステータスでした。そして、熱心に見たり聴いてくれる有識者が集まっていて、芸術への愛が強いところがパリなのだそうです。
番組の最後には、清塚さんが、サティの「あなたが欲しい」をアレンジして、パリの空気感を表現しながら演奏していました。
久しぶりに、海外にいるかのような雰囲気を味わうことができ、また、パリで活躍した芸術家たちの事をいろいろと学べました。当時の芸術家たちが集っていたカフェなどは、まだお店が残っているようですし、パリへ行く機会があったら、是非訪れてみたいと思いました。
(この記事は、2023年4月3日に配信しました第369号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、初めてのパイプオルガンの発表会のお話です。
昨年からオルガン(パイプオルガン)のレッスンを受けていて、先月初めての発表会がありました。「まさかオルガンを習うとは」と自分でも驚いていて、「ピアノを弾いて、チェンバロにも興味があって家に欲しいと話していて、それで今度はオルガンを始めるとは、本当に鍵盤楽器が好きなんですね」と友人に言われ、そこで初めて確かにそう見えるなと、自分でもますます驚いている次第です。
発表会には、ピアノでは数えきれないくらい参加してきましたが、オルガンの発表会はもちろん初めてなので、いつもとは異なる緊張をしていました。お客さんの前で弾くという点では、ピアノもオルガンも変わらないのですが、ピアノの場合、本番で初めてホールにあるピアノを弾くので、ホールの大きさや響き、ピアノのサイズや弾き心地などが、普段のレッスンで使用しているものと異なる事が緊張に繋がっている気がします。
今回のオルガンの発表会の場合、普段のレッスンでも2000人くらい収容できる大ホールでレッスンをしていましたので、楽器の大きさや音の響き、鍵盤の弾き心地などは、いつもと変わらないことになりますが、なんといっても、足鍵盤への不安が大きかったように思います。オルガンを習い始めて、一番苦労している所が足鍵盤です。ピアノでは、音を響かせるときに主にペダルを踏むくらいですが、オルガンでは、大抵両手+足鍵盤というスタイルで演奏することになります。2オクターブほどの足鍵盤を両足を使って踏みつつ、両手でも鍵盤を弾き、曲や使用する音色によっては、左右で使用する鍵盤も異なるので、これが緊張したらどうなるのか未知の世界でした。
以前から習っている方は、「手で弾く所は覚えて、足鍵盤を見て演奏している」とおっしゃっている方もいるくらいです。ちなみに、先生曰く「慣れると、足鍵盤を見なくても弾けるようになる」とのことですが、なかなか1年習ったくらいでは難しいものです。
11月くらいから発表会の曲の練習を始め、だいぶ弾けるようになってきたのですが、先生に「先日、録音をしてみたら、想像以上に酷い出来で…」と話したところ、「練習室のオルガンで録音しました? あそこは響きがないので、みなさん同じような事をおっしゃるんですが、ちゃんと弾けてますから大丈夫ですよ」と励ましてくださいました。このセリフ、私がピアノのレッスンの時に、生徒さんにお話ししている事ととてもよく似ていて、びっくりしましたが、私もオルガンでは生徒という立場なので、普段のピアノの生徒さんの気持ちが、よくわかるよう気がしました。
普段のレッスンとは別に、本番前には2回ほど大ホールでの自主練習を行い、1日前には大ホールでリハーサルがあり、そして発表会本番の日を迎えました。
朝からゲネプロ(最終リハーサル)があったのですが、既にホールのスタッフさんが慌ただしく、いろいろな箇所のセッティングをしていたり、舞台袖にはタイムスケジュール表が張り出され、名前、曲目、使用する音色、演奏開始時間、演奏終了時間などが書かれていました。全ての演奏者が全部異なる音色で演奏することになっていて、「楽器の王様」とも呼ばれるオルガンの多彩な音色に早くも驚きました。
ゲネプロでは、本番用のスポットライトが当たっていたのですが、これがまたピアノの発表会とは大きく異なりました。ピアノの場合、客席に対して横向きで演奏しますので、右側からスポットライトが当たるのですが、オルガンの場合、客席に対して後ろ向きで演奏しますので、背中からスポットライトが当たります。なので、自分の頭の影が、楽譜の右端などに映るのです。そんなにたいしたことではない気もするのですが、本番当日に初めて分かったことなので、他の方と「ビックリするよね」と話していました。
ちなみに、譜面台についてもピアノとは異なり、ピアノの場合には、アップライトピアノよりもグランドピアノの方が、譜面台が高い場所にあり、しかも遠くにあります。オルガンの場合には、手鍵盤の数が多いと、その先に譜面台があるのでかなり遠くに感じます。今回の大ホールのオルガンは、手鍵盤が4つありましたので、グランドピアノの譜面台よりさらに遠くに譜面台があり、近眼の私には、かなり楽譜がぼやけて見にくかったです。なので、楽譜を拡大コピーしたとおっしゃる方もいました。
一日前のリハーサルは、なんだか緊張して散々たる演奏でしたが、ゲネプロではまずまずの演奏ができ、これなら本番はちゃんと弾けるかもと思ったのですが、ゲネプロの演奏後に先生が「もっとたっぷりと」とおっしゃるので、慌てて楽譜を広げながら「どの箇所ですか?フェルマータの箇所でしょうか?」と聞きますと、「お辞儀です」とおっしゃり、演奏以前のステージマナーについて指摘されるという大変恥ずかしい思いもしました。
先生方も、合間を縫ってゲネプロで演奏したのですが、その時には次々と生徒が集まり、舞台袖にかぶりついて聴いていました。なかなか普段、オルガニストの先生の演奏をこんなに近くで聴くことがないので、ますます興味津々でした。
ゲネプロが終わり、いよいよ本番です。私は出番が早めでしたので、開演前から楽屋で準備をして控えていました。みなさん、堂々と演奏をされていましたが、演奏を終えて楽屋に帰ってくるなり「う~ん、なんとも言えない演奏だった」と感想を漏らしている方もいました。
いよいよ、次は自分の出番です。
ピアノの発表会と同じような流れで、アナウンスの後にオルガンの鍵盤がある演奏台に向かい、お辞儀をして演奏を始めました。楽譜を見て弾くのは安心ではありますが、なにしろ足がちゃんと動くのかが最大の心配ごとでした。
何箇所かミスが出てしまいましたが、練習してきたものは、ある程度は出せたかなという出来になりました。最大の心配ごとであった足鍵盤については、若干隣の鍵盤をかすってしまったところはありましたが、大体はちゃんとできたと思いました。ピアノを弾くときと同じように、次々と音を出して「横の流れと響き」を大事にしつつ、両手と足が同時に音を出した時の「縦の響き」を何回も確認して練習をしたので、ミスが出ても、この箇所で全てのパートの音を揃えて弾くということはできたので、その個所で立て直すことができ、大きなミスにならなかったのかもしれません。
とはいえ、「普段は、もうちょっとマシに弾けたのになあ…」という思いが強く残り、終演後に、隣のクラスの先生が開口一番に「演奏に不本意だった人も…」と話されていて、思わずドキッとしてしまいました。
まだ1年ほどしかオルガンを習っていませんが、同じ鍵盤楽器であるピアノと比べて、いろいろな違いがあり、楽器演奏は面白いものだなあと改めて感じました。オルガンを弾く事で、ピアノの楽器の素晴らしさにも改めて目を向けることができました。野球の大谷翔平選手ではありませんが、ピアノとオルガンの二刀流ができたら…と夢も膨らむ一日にもなりました。
(この記事は、2023年3月6日に配信しました第367号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回の「たのしい音楽小話」は、ピアニストの藤田真央さんのお話です。
「情熱大陸」というテレビ番組で、藤田真央さんを特集していたので見てみました。
藤田真央さんは、20歳の時にチャイコフスキー国際コンクールで第2位に入賞し、昨年モーツァルトのピアノソナタ全曲演奏のアルバムを発売して世界デビューを果たしました。その時の記者会見では、「全部録音が撮り終わって聴いた時に、なんと美しいモーツァルトなんだろうと、自分でもあっけにとられて聴き入ってしまった」と、冗談を言っているのではなく真顔で話をしていて、自画自賛ではなく、本当に素直にそう感じたのだなあと思い、素直な人柄を感じました。
ルツェルン音楽祭では、カーネギーホールの総監督・芸術監督のクライブ・ギリンソンから、直々にリサイタルを依頼され、「本当に?」と驚いていましたが、それよりも、クライブ・ギリンソンに会った瞬間に「あ~っ!チャイコフスキーコンクールでもお会いしましたね」というリアクションの大きさの方がはるかにインパクトがあり、なんだか見ていて思わず笑ってしまいました。それと同時に、音楽祭本番後の立ち話で、あの世界最高峰の権威あるコンサートホールであるカーネギーホールでのリサイタルが決まるという事も、想像以上に簡単で驚きました。
番組では、昨年10月に銀座で行われたリサイタルのリハーサルの様子が放映されました。Tシャツ姿というラフな格好で丸眼鏡をかけた藤田真央さんが、モーツァルトのピアノソナタを弾いていましたが、テレビの画面越しでも素晴らしいとしか言いようのないモーツァルトの演奏が流れていました。
「指先は時に戯れるように、時に情感豊かに鍵盤を踊る」「プロには最も難しいと言われるモーツァルトを、伸びやかに弾きこなす力が藤田にはある」というナレーションにも納得です。そんな素晴らしい演奏のリハーサルの合間には、「なんか脇腹が痛いんだよね~。なんでだろう?今日来ているバンクシーの絵の呪いかしら。ははは」と、屈託のない笑顔で笑い飛ばしている所が、とても無邪気で、本番を控えているピリピリした緊張感を全く感じさせず、かえって大物ぶりを感じてしまいました。
それでも、いざ本番ということで楽屋から舞台へ向かう時には、さすがに少し緊張するのか、歩いている途中で、「最初のフレーズがわからなくなった。ソだっけ?ファだっけ?」と楽屋に引き返し、楽譜を見て確認して、フレーズを口ずさみながら再度舞台へ向かって歩き始めていました。そんな様子は、天才ピアニストといえども人間味を感じさせ、かえって親近感を感じさせるものです。
本番を終えて舞台から戻ってきた藤田さんは、演奏を振り返りつつ笑顔になり、「ひと呼吸置くところがあるんですよ。いつもだったら入っているタイミングなんですが、まだ入らないという、あの間の絶妙さが天才的だったなあ。うまかった」と、身振り手振りを交えつつ、やはり記者会見の時と同じような素直に感じている様子で話したかと思えば、すかさず「凡人だったら入っちゃう、ははは」と思いっきり笑っている様子もあり、モーツァルトの天真爛漫さと重なるような気さえしました。
その後、楽屋に戻って顔の汗をタオルで拭いているシーンが流れていましたが、「暑いとかの汗ではなく、焦りや恐怖の汗なんです」「本番、これだけ音があるので私も間違えます。間違えた瞬間に、交感神経がグワッ~っと作用して、時が止まったような感覚が強いんです。間違えというより、自分の思ったこの高さ(座っている時の頭上)で両手の音の響きが合わないとダメなんです。ただ、右手と左手を同じタイミングで音を出したから響きが合っているとかではなく、飛んでいる音の響きで、左右の手で出している音が混じり合わないといけないんです。それが演奏中は永遠に続くわけです。なので、ピアノを弾くって物凄いんです」と真剣な表情で語っていました。一般的な弾く音を間違えたと言うことではなく、理想の音と違っていたという間違えの事を話していたわけですね。ごく普通に話しているのですが、話の内容がレベルが高くて、凄いなあと思いました。
番組では、素顔の藤田真央さんも映し出していて、友人の結婚式で弾く結婚行進曲をリハーサルしている様子や、結婚式で瞳がうるんでいる様子、去年の春から住んでいるドイツのベルリンでの生活の様子も流れていました。もっぱら自炊をしているそうで、YouTubeで料理を学んで、唐揚げを作っていました。たっぷりの量を作るそうで、3食同じメニューでも気にしないようです。料理の時は、素手で食材を触ると何度洗っても手が気になるようで、手袋をしていました。上手においしそうな唐揚げを作って食べていましたが、ご飯と唐揚げだけという献立で、ある種のこだわりも感じました。
音を出すことが許されない日曜日も、部屋に置いてある消音のアップライトピアノで、ヘッドフォンをしてデスク用の椅子に座って、練習に明け暮れる姿も映していました。人気のピアニストと言えども、自由に24時間思いっきりピアノが弾けるわけでもないのですね。練習の合間に、ふとヘッドフォンを外したかと思えば、「可能なら、洗濯物を干してもらえませんか?」と急に番組スタッフさんにお願いをしてみたり、お茶目な一面ものぞかせていました。
その後、番組では、藤田さんの生い立ちも紹介していました。
1998年に東京で生まれ、お兄さんの影響もあり3歳でピアノを始めます。番組では、ご実家の様子も流れていました。お母様が、一番最初に真央さんのピアノの才能に気がつきスパルタ教育をされたそうで、時にはお母様と取っ組み合いの喧嘩をしたり、真央さんがピアノに傷を付けたこともあったそうです。でも、真央さん自身は、その時の記憶が全くないそうで、なんだかちょっと不思議な気さえします。
小学6年生の時に、全日本学生音楽コンクール小学校の部で優勝したのですが、その時の審査員であり、後の藤田さんの恩師となる野島稔さんが、その才能を見抜いたのだそうです。野島稔さんと言えば、圧倒的な表現力を持ち、1970年24歳の時にカーネギーホールでのリサイタルも行った大変有名なピアニストです。藤田さんはその後、東京音楽大学で学長だった野島さんのレッスンを受けています。その様子も、番組の中で紹介されていました。静かな雰囲気ではありますが、真摯に音楽に向き合うお二人の様子は、大変貴重な映像だと思いました。
一切の妥協を許さない故に、野島さんはコンサート活動を止めていましたが、それにも関わらず、練習に没頭する恩師の姿を藤田さんは目にしたことがあるそうです。3時間後に再びその場へ戻ると、3時間前に練習をしていた、ある箇所のたった1つの和音の弾き方をずっと練習していたのだそうです。その恩師の姿を見て、「音楽に対して贖罪(しょくざい)しているのではないかというくらいの気持ちの詰め方だった」と、藤田さんが敬意を持って話されていました。藤田さんのピアノ演奏に対するこだわりは、恩師からの教えも影響しているのかもしれません。
藤田さんが住まいを構えているベルリンでは、ジャズにも精通しているピアニストのキリル・ゲルシュタインに学んでいて、カーネギーホールでのコンサートに向けてのレッスンの様子も映していました。このシーンも、見ることができない貴重なものだと思います。ピアニストのキリル・ゲルシュタインは、藤田さんの演奏後に和やかな様子ではありますが単刀直入に、「ちょっと明確ではないね」と、そのものずばりの感想を話し、楽譜を見ながら立ち上がり、ピアノに向かいつつ、「作曲者が何を込めているのか、きみが何をしたいのか聴いているけれど…、ひとつ明らかな計算違いをしている」と大変レベルの高いレッスンへと進んでいきました。
ある箇所の左手のリズムについて、作曲者が心を病んだ夫を支えつつ、不安と孤独が見え隠れする不穏さを表現するためには、この拍に重さを少しかけた方がよいというアドバイスでした。また、「このフレーズで、不協和音を隠して弾いているから平凡な表現になってしまう」「ここが、君にとって軽いフレーズなら、この箇所は表現が逆だと思う」など、既に完成していると思うような藤田さんの演奏に対して、より良いものを引き出そうとする先生と、アドバイスを素直に受け止めて消化し、すぐさま自分の演奏に反映させて、より良いものを目指す藤田さんの様子を見て、決しておごらず、謙虚さを持ちながら、ひたすら理想とする将棋を指している藤井総太5冠との共通点さえ感じました。本当の天才とは、こういうものなのかもしれません。
藤田真央さんが番組の中で語っていた、「音楽って、仕事として捉えるのではなく、自分の人生として捉えたい。だから、あそこのホールでコンサートをやって、そのコンサートでもらったお金を他に費やすという事は絶対にしたくない。だから散財しないんです」「一音一音大事にして、生きるか死ぬかというように命を懸けてピアノを弾いている」というポリシーも、大変印象に残りました。
恩師と同じ24歳でカーネギーホールでのコンサートも終え、本当に世界一流のピアニストになった藤田真央さんが、今後どんな高みに向かっていくのか、目が離せないですね。
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