(この記事は、2020年9月14日に配信しました第305号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、「ららら クラシック」という番組で放送された「戦国武将を癒した音色」のお話です。

織田信長や豊臣秀吉などの戦国武将が、どのような西洋音楽を聴いていたのかというお話でした。

はじめは、織田信長が聴いていたクラシック音楽の話です。

1549年に、ザビエルが日本に初上陸し、キリスト教を広めました。信長は、自分の領地でキリスト教の布教を許可していました。キリスト教が普及すると、宣教師が次々と来日し、音楽も持ち込まれます。

信長が活躍していた時代、ヨーロッパはルネサンス音楽の全盛期でした。

バッハなどのバロック音楽よりも前の時代になりますが、バロック音楽と同じく、いくつもの旋律が絡み合って、和音を響かせる作りの音楽でした。日本に古来からある音楽は、一つの旋律だけでできているので、和音を響かせることはありません。同じ時代でも、音楽は大きく異なります。

ルネサンス時代、音楽の中心は声楽でしたが、宮廷では管楽器や弦楽器が使用されていて、この中のいくつかの楽器が日本に持ち込まれました。その一つと考えられているのが、ビウエラという楽器です。小型で持ち運びがしやすく、宣教師たちの出身地スペインで使用されていました。

信長は芸能好きで、自身でも語りながら舞を踊っていたそうです。無類の新しい物好きとしても知られていますから、きっとルネサンス音楽も興味深く聴いたかもしれませんね。

古い文化や体制を変えて、新しい時代を切り開いていく時だったので、違う角度から新しさを見せなければならないという使命が、信長にはあったのかもしれません。宣教師たちがもたらした物や音楽は、信長の意向に合っていたようです。

信長は、「セミナリオ」という宣教師の養成所を作ることを許可します。キリスト教の子供たちが、ラテン語や音楽などを学んでいたそうで、信長自身も足を運んで、音楽を聴いて楽しんでいたそうです。

番組では、ビウエラの演奏が流れました。見た目は、少し小型のギターのようで、弦が張ってある部分に少し装飾がありました。明るめの落ち着いた音色で、とても癒されるような、心地良い音色です。

当時、ヨーロッパではリュートという弦楽器が主流でしたが、リュートは、中東などのアラブ音楽で使われるウードという楽器が先祖で、イスラムに侵略された過去があるポルトガルやスペインでは、敵の楽器となり、受け入れられなかったのだそうです。しかし、多くのヨーロッパでは、花形の楽器だったリュートは、歌や踊りの伴奏としても活躍し、宮廷や貴族の家では欠かせないものだったそうです。

番組では、リュートの演奏も流れ、当時愛された踊りの曲が披露されました。ビウエラよりも、少し線の太い、よりまろやかな音色でした。細い板を張り合わせて作られています。弦の貼ってある面の裏側が、結構コロンとした丸みがあり、空洞が大きいので、柔らかい音が出るのだそうです。

番組では、メインキャスターの俳優さんが、実際に楽器を持って音を出していましたが、リュートはものすごく軽いと感想を話していました。ビウエラの方が少し重さがあるそうです。

両方の楽器とも、音量が小さいのですが、多くの聴衆に聴かせるものではなく、小さな部屋で音楽を演奏するので、この音量で十分なのだそうです。

次に、豊臣秀吉が聴いていたクラシック音楽の話になりました。

秀吉も最初は、織田信長と同様キリスト教を受け入れていましたが、キリスト教が強くなり過ぎて、天下構想の妨げになると考え、1587年バテレン追放令を出して、宣教師を国外に追放します。しかし、キリスト教そのものを排除した訳ではなかったようです。

そんな中、キリシタン大名たちの名代として派遣されていた、天正遣欧少年使節団が帰国します。ポルトガルやスペイン、イタリアなどのキリスト教世界を周り、帰国後に豊臣秀吉に謁見しました。

しかし、バテレン追放令を出した秀吉に、キリスト教の話をするわけにはいかないので、音楽を演奏してキリスト教世界の素晴らしさをアピールしました。すると、秀吉は西洋音楽の響きが気に入り、3回もアンコールをしたという記録が残っているそうです。ただし、残念ながら、何の曲を聴いたのかなどは記録がありません。キリスト教には厳しく対応していましたが、西洋音楽の響きには癒されていたようです。

番組では、豊臣秀吉が聴いたかもしれない「皇帝のうた」が演奏されました。元々は、フランスのシャンソンで、恋人を失って悲しいという内容の音楽でしたが、神聖ローマ帝国の皇帝が好んでいた音楽として、「皇帝のうた」というタイトルで広まっていったのだそうです。聴いてみますと、確かに悲しげな音楽ですが、とても美しい音楽でした。

戦国武将と西洋音楽という視点は、とても新鮮ですが、バッハ以前のルネサンス時代の音楽も、普段演奏する機会や聴く機会がとても少ないので新鮮でした。これを機に、このような音楽もいろいろと聴いてみようかという気持ちになりました。

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(この記事は、2020年8月31日に配信しました第304号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、レッスン再開後のお話しです。

新型コロナウイルスの影響で、約3ヵ月間レッスンを休講しましたが、6月から再開し3ヵ月近くが経ちました。

休講中も、メールなどでご連絡し、一部オンラインレッスンも行ってはいましたが、レッスン再開時は、生徒さん方が以前のように通っていただけるか内心ドキドキしていました。

幸いにも、生徒さん方は、レッスン再開を心待ちにされていて、今では全員の方が以前と変わらず笑顔でいらっしゃっています。

レッスン再開に際し、コロナ対策として検温や除菌などのマニュアルが決められましたが、もちろん現在でも徹底して行っています。

生徒さんと講師の間に感染予防のビニールカーテンが設置されているので、以前のようにすぐ横に座ってレッスンを行ったり、同じ音域で見本として弾く事は難しくなっていますが、ビニールカーテン越しにアドバイスをしたり、他の音域で見本を弾いたりと、感染予防にも配慮しながらレッスンを行っています。

レッスンの入れ替え時も、その都度、除菌と空気の入れ替えをしますので、多少お待ちいただくのですが、それがむしろ安心感に繋がっているのかもしれません。

生徒さん方も、この暑さの中、マスク姿でいらして、マスクを着けたままピアノを弾きますので、本当に大変だと思いますが、嫌な顔もされずに当然とばかりに、幼稚園生や小学生などの小さいお子様も協力してくださっています。

このように、レッスン自体は、コロナ対策を実施しながら元の状態に戻りつつありますが、発表会などのイベントは、人が集まるということもあり、慎重な判断が求められています。

世の中全般的に、3月くらいからリサイタルやコンサートなどが相次ぎ中止となっており、ピアニストなどの演奏家は、大変な状況なのではと想像しています。実際、有名なピアニストが通常のリサイタルチケット料金よりもはるかに格安に有料のオンラインコンサートを行ったそうですが、あまりチケットは売れなかったという話を聞きます。

少し話が脱線しますが、このような状況も影響してか、日本の第一線で活躍されていたり、世界的にも著名なピアニストが、レッスンを指導するという話が相次いで出てきています。

通常、有名なピアニストからレッスンを受けるのは、かなり敷居が高く、音楽祭などに参加して、既にある程度実績がある方や、今後演奏家として期待されているような方、または現在の指導者がそのような有名なピアニストに紹介できるような実力者でないと難しいと思いますが、それが初心者でもOKだったり、オンラインレッスンで受講できたりと、「まさか、あんな有名ピアニストが!?」と驚愕してしまいます。

もちろん、謝礼は、一般的な音楽教室のレッスンのお月謝よりもはるかに高くなりますが、紹介が無くても一流ピアニストのレッスンが受けられるという夢のような企画は、コロナウイルスが招いた不幸中の幸いと言えるのかもしれません。

現在では、徐々にリサイタルやコンサートも始まっていますので、このような企画がずっと続くとは考えにくく、気になる方は検索してみるとよいでしょう。

話を元に戻しますと、慎重に議論されてきた発表会の開催ですが、最近になってようやく生徒さんにお話しできるようになりました。

毎年夏に開催しているお子様の発表会については、様々な議論の結果、半年ほど時期をずらして年末年始に開催することになりました。ただし、今年は希望者のみとして、一度のステージに参加できる人数に制限を設けて観客数も絞り、ステージとステージの間には、除菌や空気の入れ替えを行う時間を確保するなど、できうる限りの感染予防対策を取っての開催となります。

生徒さん方に説明して、参加の意思を伺いますと、全員の方が参加することになりました。

大人の生徒さんの発表会についても、当初はキャンセルの方向で話が進んでいましたが、急転直下、規模を縮小して行う事になりました。

現在、生徒さん方に参加の有無を確認していますが、今回初めての発表会参加を決めた生徒さんもいらっしゃいます。

このような状況下でイベントを行う事について、賛否両論あると思いますが、ずっと練習をされてきている生徒さん方にとって、またお子様を通わせているご家族にとって、発表会という場は目標でもあり、大きな励みになっていることは間違いないと思っています。

密を避けるために、集合写真や講師演奏もなくなり、客席もガラガラという印象になりそうですが、それでも参加したいという意欲的な生徒さんが多くいらっしゃるので、引き続き感染予防を徹底し、当日、生徒さん方が安心して参加され、そして参加して良かったと思っていただけるような場になるよう努力していきたいと思います。

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左手のピアニスト


2020年8月30日


(この記事は、2020年8月17日に配信しました第303号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、左手のピアニストのお話です。

先日、「こころの時代」というテレビ番組で、左手のピアニスト智内威雄さんを取り上げていました。

智内威雄さんは、海外でも個展を開く画家のお父様と、かつて劇団四季で活躍していたお母様の元で育ちました。小さい頃から、「美しいか、美しくないか」という教育方針で育てられ、味わい深いもの、いびつなものの中に美しさを見出せるかという事を、お父様が一緒に探してくれたそうです。

食器の欠けている部分に、生活の営みを想像し美しさを感じるなど、美しさは、常に自分で探していかなければならないという事なのでしょう。なかなかユニークで、芸術一家ならではという感じがします。

3歳でピアノを始め、音大付属の音楽教室でピアノの英才教育を受けましたが、その生活スタイルもまた一風変わっていました。

朝の3時に、家族全員で起きて、お母様が朝ご飯を作り始め、お父様は4時に絵を描き始めていたそうです。朝3時というと、夏でもまだ夜が明けていない時間ですから、早朝というよりも夜中に起きているような感じですが、毎日清々しく起床されていたそうです。朝食などを済ませ、4時半頃からにピアノの練習を始めていました。

「人と違うことをやりたければ、人とは違う時間を過ごしなさい」という教育だったのだそうです。

グレングールドというピアニストに憧れて、演奏のスピード感や超絶技巧に憧れて、ひだすら技術を磨く練習をしていたそうですが、小学5年生の時に学校でピアノを弾く機会があり、「自分が演奏して喜んでくれる人がいる」という事に気が付きます。

東京音大付属の高校に特待生で入学し、その後大学、ドイツにも留学をします。

コンクールでも結果を残せるようになり、ピアニストとしてやっていこうと思った25歳の時、演奏中に右手に違和感を覚えます。「局所性ジストニア」という病気で、今でも画一された治療法がありません。脳の誤作動で起こる病気で、現在でも、ピアニストやヴァイオリニストなどの演奏家で苦しんでいる人が何人もいます。

智内さんの場合、これまで難なく弾けていた個所が、段々と弾きにくくなり、そのような箇所が徐々に増えていったそうです。

その時は、練習不足が原因と思い、練習をどんどん増やしていきました。しかし、実際は練習してはいけない状況で、急速に悪化させてしまいます。

問題のある指を、他の指がかばって弾き、今度はその指が問題を起こすようになり、最終的には、ピアノ演奏の時だけでなく、日常生活にも支障が出てきます。髪の毛を洗うとき、通常は指先で洗うと思いますが、無意識のうちに指先が手の平の方にどんどん丸め込まれていき、気が付くと握りこぶしになってしまうのだそうです。

病気だと知った時には、自分の努力不足が原因ではないとわかり、少しほっとしますが、しかしそれからが大変でした。

1本の指をゆっくりと動かし、最小限の力でピアノを弾き、指先の感覚を研ぎ澄ますというリハビリを懸命に続けます。このリハビリは2年続き、日常生活に問題がないほどには回復しましたが、それでもピアノが弾けるようにはならず、逆に絶望感を味わうことになります。

そんな時、小学生の頃を思い出し、自分がピアノを弾きたいのは、人を喜ばせたいからだということに気づき、それなら他の手段もあるのではないかと考え始めます。

指揮や声楽など他の分野も探り始めますが、なかなか見つからず、そんなときに音大の恩師に呼び出され、スクリャービンやブラームスの左手のための作品を渡されます。

以前から左手だけで弾く音楽の存在は知っていたそうですが、片手しか使えない人が仕方なく弾いている分野で、両手に比べ半分くらいの魅力しかないのではないかと思っていたそうです。しかし、練習を始めてみると、左手だけのピアノ音楽は両手の音楽に比べてシンプルで、妙に迫ってくる感じがして驚いたそうです。

文章や言葉なども、たくさん書けば人に伝わるわけではなく、たくさんの言葉を使うよりもシンプルに伝えた方が、受け手がいろいろと想像することができるのと同じで、シンプルな分、音楽の行間を読ませる事ができ、場合によっては、両手の演奏よりもピアノの能力を引き出すことができると左手の音楽に新たな希望を感じるようになります。

「これまで、ピアノの勉強はたくさんしてきたけれど、ピアノが出す音にそんなに耳を傾けていなかったのかもしれない。ピアノの声みたいなものを、片手で弾くことになって初めて気が付いた。思ったよりも、たくさんピアノが語りかけてくれていたんだと気がついて驚いた」と話していました。

左手のピアノ曲は、第1次世界大戦の頃に多く作られ、戦争で右手を失ったピアニストのためにラヴェルやプロコフィエフなど有名な作曲家が、左手のためのピアノ曲を作曲し、当時 3000曲以上の左手のためのピアノ曲が書かれました。

戦争という絶望の中で生まれた左手の音楽にこそ、音楽の原石があると感じ、音楽の持っている強さや癒しを紹介していく事が、自分の使命なのではないかと思い始めます。主治医や先生には反対されますが、家族は、「素晴らしい。やるべきだ」と賛成してくれたそうです。

練習を始めてみますと、曲の途中で体や精神的にも疲れてしまい、かなり大変だったそうですが、右手のリハビリでの動きを左手に応用し、新しい演奏法を見つけていきます。そして、29歳の時に左手のピアニストとして、本格的にデビューすることになりました。

現在では、ピアニストとしての活動だけでなく、同じように左手だけでピアノを弾いている方々にレッスンも行っているそうです。

かつては超絶技巧のピアニストとして、国際コンクールにも入賞し将来を嘱望されていた智内さんですが、大きな挫折の後に、新たなピアノの世界を切り開いて進まれていく姿勢と、冷静かつ秘めた熱意にとても感動しました。

番組内で智内さんの演奏が少し流れていましたが、両手の音楽よりもすっきりとしていて、音楽の奥にあるメッセージがストレートに伝わってくる感じがしました。

コロナの影響でコンサートがなかなか開催されない状況ではありますが、再開された時には、生で聴いてみたいと思いました。

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