(この記事は、2025年4月21日に配信しました第420号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、動物とクラシックについてのお話です。

つい先日、テレビ番組「クラシックTV」が「どうぶつとクラシック」というテーマで放送されていました。

クラシック音楽と動物ですと、ショパン作曲の「子犬のワルツ」、サン=サーンス作曲の「動物の謝肉祭」(「白鳥」がとても有名)、チャイコフスキー作曲のバレエ音楽「白鳥の湖」などありますが、一番有名な動物をテーマにした曲は、「猫ふんじゃった」かもしれません。よくよく考えてみますと、猫を踏んでしまうという、かなり残酷なタイトルですが、この番組でも、冒頭にこの「猫ふんじゃった」を司会者の清塚さんがおしゃれにアレンジしたバージョンで演奏されていました。

世界各国で、お子様が弾ける曲として定番で、興味深いことに国によって曲名が異なるのだそうです。ハンガリーでは「ロバの行進」、ロシアでは「犬のワルツ」、チェコでは「豚のワルツ」、ドイツやフランスでは「のみのワルツ」と呼ばれているのだそうです。いろいろな動物が出てきて、ビックリしますね。

番組では、動物とクラシック音楽のプレイリストを紹介していて、鳥、猫、犬、馬、像、カンガルー、おおかみ、魚、ヘビ、虫のカテゴリーに、具体的な曲名を書かれていました。ぱっと見ますと鳥が多く、鳥も、かっこう、うずら、ひな、にわとり、ハクチョウなど、いろいろな種類に分かれていました。先程挙げた「白鳥」や「子犬のワルツ」も、もちろん挙げられていましたし、音楽の一部を流していました。

ベートーヴェン作曲の交響曲第6番「田園」では、フルートで演奏されている部分が鳥のさえずり、クラリネットはかっこう、オーボエはうずらの鳴き声を表現していて、まさに自然界の鳥のさえずりを表現しています。サン=サーンス作曲のピアノ曲「動物の謝肉祭」の「カンガルー」は、カンガルーの軽やかに飛び跳ねている雰囲気を表現しています。同じ組曲の「白鳥」は、ゲストのアンタッチャブルの柴田さんが、「これが白鳥という曲だったんだ。知らなかった~。よく聞くよね」とお話しされていて、司会者の鈴木さんは、「白鳥って、いいですよね。優雅な曲ばっかり作ってもらえて」とお話をされていました。確かに、鳥の中でも白鳥は特に優雅な雰囲気がありますから、作曲される曲も自ずと美しい曲になるのでしょうね。

ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」から「卵の殻を付けたひなの踊り」では、「これ、かわいいよね。殻を付けちゃったままのひな鳥の曲で」「かわいい~」「えへへへ」「テンパっているんだ」「ちょっとアニメチック」と、次々と感想を話して盛り上がっていました。

番組は、「どうして音楽から、動物の姿を思い浮かぶのか?」という話題に移りました。最初に、動物の音の表現で、サン=サーンス作曲の「森の奥に住むかっこう」を紹介していました。かっこうの鳴き声をクラリネットで表現していて、とても分かりやすかったです。清塚さんが、「クラリネット奏者によって、いろいろなかっこうがいる」とお話されますと、もう一人の司会者の鈴木さんとゲストの柴田さんが、即座にハッとされていて「なるほど!」と言わんばかりのリアクションをされていました。「優しく『かっこう』と演奏する人もいれば、少ししっかりとした『かっこう』もいて…」と説明する清塚さんに、「同じ音符なんですよね。という事は、正解がないんですね。いやー凄い」と柴田さんも、少しビックリされたようにお話されていました。

続けて、楽器で鳴き声を表現している動物として猫を取り上げ、アンダーソン作曲の「ワルツィング・キャット」を紹介していました。優美なメロディーの合間に、「にゃ~お」と猫が鳴いている曲で、3人がワルツのリズムに乗って体を揺らしながら聴いていて、猫の鳴き声のところで、鈴木さんが猫のしぐさを真似していました。清塚さんが「猫の鳴き声のところは、ヴァイオリンで弾いていますが、弦楽器特有のグリッサンドという1つ1つの音を区切らずに流れるように音高を上げ下げする弾き方をしています。これも演奏者に表現が委ねられています」と説明をされていました。

もう一つ、アンダーソンの「馬と馬車」という曲も紹介していました。曲のタイトル当てクイズのように、音楽を聴いて何の動物を表現しているのか当てる形で番組は進められていましたが、清塚さん以外は「?」という表情をされていて、「ワンちゃん?ねこちゃん?」と次々と柴田さんが答えていても正解にならず、清塚さんがヒントとして「このポコポコいっているのが…」と言いかけた時に、柴田さんが「あっ!たぬき?」「いや、惜しい」「でも、それ日本でしょ?」とお腹を叩くリアクションをしますと、3人が大笑いしていて、楽しそうな雰囲気が伝わってきました。「これ、馬と馬車という曲なんです」と正解を聞きますと、「ああ、なるほど」と納得した表情をされていました。

次は、ロッシーニ作曲の「ウィリアムテル序曲」では、「これもお馬さん?」とすぐに柴田さんが正解をされていました。「これは、速く走っているタイプの馬ですね。先程の曲は、馬は歩いていたけれどね。馬が走るとリズムが変わるという事を表現しているんですね」という清塚さんの説明に、またまたお2人が頷いていました。

動物とクラシック音楽という、これまであまりなかった視点から音楽を紹介していて、とても楽しく番組を見ることができました。小さいお子様に、「どのような音楽を聴かせたらよいですか?」と質問をいただくこともありますが、今回の番組のような視点から音楽を探して聴いてみると、興味を持ってもらえるのではないでしょうか。まだまだ、いろいろな動物を扱った音楽がありそうなので、探してみたいと思いました。

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オーケストラの日


2025年4月21日


(この記事は、2025年4月7日に配信しました第419号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回は、オーケストラの日についてのお話です。

桜が満開を迎えていますが、今年は雨続きで、なかなかゆっくり楽しめない気もしています。それでも、生徒さん方は桜の話をされており、美しく咲く桜を楽しまれているようです。

少し前ですが、「3月31日はオーケストラの日」という記事を見かけました。そのような日が制定されている事すら知りませんでしたが、公益社団法人日本オーケストラ連盟が、2007年に制定したのだそうです。

なぜ、3月31日なのかという疑問が湧きますよね。2月22日が、「にゃんにゃんにゃん」で「猫の日」というのは、ちょっとかわいらしい感じで巷でわりと浸透しているようですが、オーケストラの日は、「み(3)み(3)にいい(1)日」という事で3月31日なのだそうです。オーケストラの音を耳で楽しんでほしいという願いが込められていると同時に、この日は春休み期間なので、親子でゆっくりと音楽を楽しめるタイミングという事もあるようです。

また、クラシック音楽はどうしても敷居が高いとか難しそうなイメージがあるので、もっと多くの人にオーケストラの魅力を伝えたいという事で、記念日を制定して、初心者やお子様でも気軽に楽しめるイベントを開催し、イメージを変えるべく活動をされているのだそうです。記事には、この記念日がきっかけでオーケストラを聴きに行って感動したなどのエピソードも紹介されていました。

大勢の演奏者が指揮者に合わせて音楽を奏でる緊張感や迫力は、想像以上のインパクトがありますし、普段楽器を弾いたりして音楽に関わっている人でも、心を動かされるのではないでしょうか。ピアノやオルガン、声楽以外の楽器専攻の音大生は、大抵オーケストラの授業がありますから、ピアノ科だった私は、いいなあと羨ましく思ったものです。

記事では、敷居が高いとか難しそうなクラシック音楽ですが、意外と身近なところで耳にしているという雑学ネタを紹介していました。私もレッスンの時、生徒さん方に「この曲は〇〇のCMで流れている曲」という話をすることがありますし、生徒さんから「今練習している曲は、お家でお風呂を沸かしたときに、『お風呂が沸きました』というお知らせの時に流れている」と聞くこともあります。

オーケストラの演奏者のエピソードも紹介されていました。ヴァイオリン奏者の演奏中に、弓の毛が次々と切れてステージの床に散乱するとか、指揮者が指揮棒を振っている最中に、勢い余って客席に飛んでしまい笑いが起こるという、冗談かと思えることが実際に起こるそうです。その他にも、演奏者が演奏中にくしゃみをこらえきれず、とうとう大きなくしゃみをしてしまい、会場じゅうに響き渡り、観客席からも笑い声が起きてしまったり、コントラバス奏者が、強く弾きすぎて弦が切れてしまい、その音が大きく響いてしまい、演奏者本人も驚いたということもあったのだそうです。

演奏中に弦が切れてしまったエピソードは、「タングルウッドの奇跡」が有名です。世界的に有名なヴァイオリニストの五嶋みどりさんが、14歳の時にアメリカで開催されたタングルウッド音楽祭で、レナード・バーンスタイン指揮、ボストン交響楽団との共演中に起きたハプニングで、演奏中にヴァイオリンの弦が切れてしまい、とっさの判断で第1ヴァイオリン奏者の楽器を借りて演奏を続行します。それだけでも凄いのですが、これで終わらず、なんとまたしてもヴァイオリンの弦が切れるハプニングが起こったのです。演奏中に弦が切れることは稀に起こるのですが、2度も切れてしまうなんて、本当に珍しくビックリ仰天ですね。

五嶋みどりさんは、またしても演奏を中断することなく、第2ヴァイオリン奏者の楽器を借りて、何事もなかったかのように最後まで素晴らしい演奏をされたそうです。ちなみに、この時演奏していた曲は、指揮者であるレナード・バーンスタインが作曲した、「ヴァイオリンと弦楽オーケストラのためのセレナード」で、演奏後、観客からは、たくさんの歓声と拍手が沸き起こり、バーンスタインは両手を広げてみどりさんを抱きしめて何度も涙をぬぐっていたそうです。このエピソードは、勇気ある出来事として、アメリカの教科書にも掲載されたそうです。YouTubeにも、当時の演奏がアップされていますので、興味のある方はご覧ください。凄いとしか言葉が浮かびません。

それから、記事の最後には、名曲にまつわるエピソードも紹介されていました。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は、誰もが知る出だしの「ソソソミー」が大変有名な曲ですが、このインパクトのある冒頭のフレーズは、「運命が扉をたたく音」を表現しています。単なる比喩ではなく、なんとベートーヴェン自身が、本当に自分の家のドアを叩く音をイメージして作曲されたのだそうです。

聴力を失い、精神的に追い詰められているベートーヴェンにとって、自宅のドアを叩く音が、迫りくる運命の圧迫感に聞こえたのかもしれません。このようなエピソードを知っていると、音楽の聴こえ方や楽しみ方も変わってくるかもしれませんね。モーツァルトやハイドンのエピソードも掲載されていて、なかなか楽しい記事でした。歴史上の天才作曲家の人間らしい面も知ることができて、ますます生の演奏が聴きたくなってきます。オーケストラの日は過ぎてしまいましたが、演奏を聴くきっかけになりそうです。

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(この記事は、2025年2月24日に配信しました第416号のメールマガジンに掲載されたものです)
今回は、指揮者による音楽の違いについてのお話です。

長く音楽に携わていますと、ちょっとでも音楽が聞えてくると「何の曲だろう?」と気になり、耳を傾けて演奏に聞き入ってしまったり、演奏の仕方が気になってしまいます。生身の人間が演奏していないものについては、違和感を感じるので特に気になります。駅へ行きますと、電車の発車メロディーが流れますが、勝手に頭の中で音を聞き取り、楽譜に書き起こしてしまう事も多々あります。

また、アレンジされている曲が流れていると、「えっ、そこでここに飛んじゃう?」とか「ここ、カットしちゃうのね」など、いろいろ思う事もあります。そのため、よく受験生がBGMを流しながら勉強していますが、私の場合は、ついつい音楽の方に耳が吸い寄せられてしまうので、勉強が全然はかどりませんでした。

もっとしっかりと絶対音感が付いている方は、あらゆる音が、ドレミ…で聴こえるそうで、私以上に気が休まらないのではないかと思います。もちろん、音楽にフォーカスしないように、耳のスイッチを自分でオンオフすることができるようになってきますがね。

先日、『なぜ、クラシック音楽ファンは「誰が指揮するか」をやたら気にするのか』という記事を目にしたので、読んでみました。

ピアノ教室にいらしている生徒さん方は、音楽好きな方々なので、ご自宅でピアノの練習をするだけではなく、普段からいろいろと音楽との接点が多いように見受けられます。ピアノ以外の楽器やコーラスをされていたり、音楽系のテレビ番組を見ていたり、リサイタルやコンサートに足を運んだり、音楽系がテーマの映画を見たり本を読んだりされています。

その中で、交響楽団の会員になっている生徒さんは、この記事の通り、「この前行ったコンサートは、〇〇が指揮をしていて…」と、誰が指揮をするのかチェックして演奏会を選んでいるようです。

この記事の「交響曲は指揮者次第?」という項目では、クラシック音楽は、演奏家が異なると、全く違う様に聴こえることがままあると述べられています。これは、ピアノなど楽器を演奏している方は、直ぐにピンとくると思います。ピアノのレッスンにいらしている生徒さん方でも、新しく練習する曲を決めるときに、YouTube などでプロの演奏家の演奏を聴いて、「あ~素敵っ!これを弾いてみたい」と思い練習を始める方がいらっしゃいます。

練習を始めて最初の頃は、無我夢中で音を読んでピアノを弾きますが、ご自分が何の曲を弾いているのかよくわからないという方も少なくないようです。先日も、とても有名なピアノ曲を練習している生徒さんが、「まだまだ、音楽が聴けてこないです」とおっしゃっていました。ご自分が良いと思って選んだ曲を弾くわけですが、どうも同じ曲に聴こえない、まさに演奏者によって違ったように聴こえるという事ですね。

私自身も、先日生徒としてピアノのレッスンを受けた時に、先生が弾くフレーズが、つい先程自分が弾いたフレーズと全く異なっていて、先生の演奏の素晴らしさを感じつつ、自分の実力を思い知らされて複雑な思いをしました。

オーケストラも、指揮者の存在が大きく、同じオーケストラでも指揮者次第で素晴らしかったり、そうでなかったりと、ものすごい差が生まれると書かれています。記事の中で、極端な例として、ブルックナーの「交響曲第8番」について述べられていました。ブルックナーの傑作なのですが、指揮者によって70分くらいで演奏されることもあれば、100分かけて演奏されることもあるそうなのです。演奏時間が30分も異なると、だいぶ曲の印象が変わりそうですね。

筆者の音楽評論家 許光俊さんがご自身の経験を語っていて、最初に買ったレコードがカラヤン指揮のもので、子供ながらに違和感を感じたそうですが、その後で買ったベームが指揮をした音楽は圧倒的にしっくりきたそうです。後に、カラヤンの指揮が、表面的とか機械的という批判があることを知って、「そうだ」と膝を打ったことが書かれていました。

ショパンコンクールが開催されていた時、生徒さん方に、「YouTube の公式チャンネルで、コンクールの演奏が聴けるので、ご興味があれば聴いてみて下さいね」とお話したところ、早速聴いた生徒さんが、「同じ曲でも、弾く人によって、とても違っていて驚いた」と感想を話されていました。

私も、ちょうどショパンの曲を練習していたこともあり、いつにも増して興味津々で聴いたのですが、とにかく速いテンポで弾く方がとても多く、ゆっくりのテンポの曲はとってもゆっくり弾いていることも多々あり、本当にこんなテンポで弾くのかと驚いて、ピアノの先生に聞いたものです。その先生は、「コンクールだから、速く弾いた方がやはり華やかさが出るし、テクニックもアピールできるし、印象に残るんじゃない?また、他の曲との対比などを考えてテンポ設定をしているかも」と話していました。

その時に、私が、「みなさん、とにかく速く弾いていてびっくりしましたが、〇〇さんの演奏は、私が思っているテンポで弾いていて、そうそう、これこれ!という感じで、すごく納得したのですが…」とお話したところ、「そうね、とてもきれいに弾いていてリサイタルだと良いのかも知れないけれど、コンクールの場だと、ちょっと地味に聴こえちゃうのよね」とも話していて、なるほどコンクールという他者との比較の場だと、いつもとは異なる演奏になるのかもしれないと思ったものです。

同じ演奏者でも、年月を経て何回も同じ曲を録音していることがありますが、昔の解釈と今の解釈が異なることもあり、おのずと演奏も変わってくるのでしょう。

「決定版 交響曲の名曲・名演奏」という本の中で、この記事の筆者である許さんが書いていますが、「だれだれ指揮のどこそこ管弦楽団との演奏」と記してはいても、何年の録音とかは、あえて記していないそうです。どの録音かが書いてあると印象がどうなるか、自分で考えながら自分の耳で音楽を聴くことが大事なんだそうです。

近年は、演奏会に足を運べなくても、いろいろな方法で身近に音楽を聴くことができるようになっていますので、私も、指揮者にもっと注目をしながら、やはりブルックナーの交響曲第8番を聴き比べてみたいと思います。

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