J.S.バッハのお話


2023年3月6日


(この記事は、2023年2月20日に配信しました第366号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、J.S.バッハのお話です。

ピアニストの清塚信也さんと歌手でモデルの鈴木愛理さんが司会を務める「クラシックTV」という番組で、先日バッハを取り上げていたので見てみました。清塚さんによるバッハ作曲平均律クラヴィ─ア曲集第1巻第1曲プレリュードの冒頭部分の演奏から番組は始まりました。

「バッハを(番組で)やるには、この人を呼ばねば!」という事で、鈴木優人さんがゲストとして登場しました。鈴木優人さんは、世界的に有名な「バッハ・コレギウム・ジャパン」の首席指揮者を務めていて、チェンバリスト兼オルガニストとしても大変有名です。

「バッハ・コレギウム・ジャパン」は、鈴木優人さんが9歳の時にお父さんである雅明さんが、理想的なバッハを演奏するために創設した演奏団体です。そのような経緯もあり、鈴木優人さんは小さい頃からバッハに慣れ親しんできました。「バッハは、とても尊敬しているし、絶対に届かない存在ですが、小さい頃から見てきたバッハという作曲家の姿をお伝えしたい」と、お話されていました。

ヨハン・セバスチャン・バッハ(J.S.バッハ)は、音楽の父とも呼ばれ、「主よ、人の望みの喜びよ」「管弦楽組曲第3番 アリア」「無伴奏チェロ組曲第1番」など、誰もが一度は聞いたことがあると思います。司会の鈴木愛理さんも、「どれも有名な曲で、意外と身近にある曲が多いという印象です」とコメントされていました。

原曲が様々にアレンジされて、あらゆるジャンルで演奏されていますが、バッハが活躍していた1700年代では、バッハの音楽は古臭くて時代遅れと思われ、後の時代のモーツァルトやシューベルトのように、生前から有名だったわけではありません。当時の音楽は娯楽化が進んでいて、同時期のスカルラッティやヘンデルのように、聴いていてリラックスできたり、楽しかったり、見ていてかっこいいエキサイティングな音楽が人気でした。「バッハの音楽は、ヘンデルなどの商業音楽と違い、神様や教会のために書かれていた」と鈴木優人さんが話されると、清塚さんが、「クラシック音楽は、教会音楽から出発しているけれど、バッハは、ちょっと前の時代の古いスタイルを引き続き行っていた」とコメントされていました。

番組では、バッハの生い立ちに話が移りました。

バッハは、1685年、ドイツ・アイゼナハの音楽家の家庭に生まれました。教会オルガニストの兄から音楽の手ほどきを受けます。18歳の時に、ワイマールの宮廷音楽家になりますが、より大きな町での教会音楽家を目指し、町を渡り歩いて仕事を探していたそうです。38歳の時に、ライプツィヒの聖トーマス教会に就職し、音楽家としての生涯を捧げます。「バッハは、良い地位を目指して、お金やいろいろな条件にも細かく、転職先の条件が悪いと仕事を断ったこともあった」と鈴木優人さんの解説がありました。

バッハは、教会でカントールという音楽監督のような仕事をしていて、毎週の礼拝で演奏される教会カンタータを作曲していました。「当時の民衆は、識字率がそんなに高くなく聖書も読めなかったので、聖書の言葉を実感できるように、教会カンタータを通して聖書の言葉を教えていた」と解説されていました。

教会カンタータは、合唱と何人ものソリストたちが、聖書にあるキリストや弟子たちの言葉を歌で語りかけるもので、オペラのような感じさえします。日曜日の礼拝の度にテーマが異なり、聖書の読まれる部分も違うので、バッハは毎週新しい曲を書かなければなりませんでした。バッハが作曲した教会カンタータは、現存している曲だけでも200曲以上あると言われており、すごくバラエティに富んでいて、同じような曲が無いそうです。「(演奏を)やってもやっても、常に発見があり、1ミリも飽きない」と鈴木優人さんが話していて、清塚さんが「へ~」と驚かれていました。

そして、鈴木優人さんがお勧めする、一番華やかな曲の一つとして「教会カンタータ第30番 『喜べ、あがなわれた者たちの群れよ』から終曲」の映像が流れました。解説通りに、とても華やかで素敵な曲でした。

それから、バッハが極めた作曲技法「フーガ」に話が進みました。

「ずっと同じメロディーが何層にも被さって出てくるので、何人もの人が演奏しているように聴こえますね」「カエルの合唱を一人でやっている感じで、追いかけっこみたいなのがフーガなんですね」と司会者たちが話していました。「鈴木さんは、サラッとこのフーガを弾いているけれど、弾くのもめちゃくちゃ難しくて、これを作るなんてもってのほか」とのコメントも飛び出していました。

楽譜の映像を使って、フーガの一番重要な、1つのメロディーを徹底して使う事を色分けしながら解説していました。伴奏やハモることもNGで、規則もたくさんあります。「バッハは、こんなにたくさんのフーガの作曲のルールを見出したんだけど、実際に演奏してみるとルールを守ったほうが確かにきれいなんだよね」と清塚さんが話されていて、鈴木優人さんも「1つ1つのルールを説明したいくらい。フーガはバッハ以前からあって、バッハ以降の作曲家たちもずっと作曲をしているけれど、バッハが極めた作曲技法なんです」とコメントされていました。

バッハは、死後時間が経つほどに評価の高まった作曲家で、世界的に有名で大変よく演奏される「平均律クラヴィ─ア曲集」にも話が及びました。バッハが息子の教育用に作曲したものですが、「音楽を楽しむことと楽器を練習することが一体になっている作品」と鈴木優人さんがコメントされていました。

番組では、鈴木優人さんと清塚さんが、それぞれ「平均律クラヴィ─ア曲集」のお勧めの曲を弾くという贅沢なシーンになりました。鈴木優人さんは、「第1巻第12番ヘ短調」がお好きだそうで、特にここが好きというピンポイント部分までお話をしていました。清塚さんは、「第1巻13番嬰へ長調」がお好きだそうで、「世界が幸せで満ち溢れているみたいな感じ」と感想を話していて、司会の鈴木愛理さんが、「そういう曲を選ぶことがちょっと意外で、もっとダ─ンという迫力ある曲を選ぶのかと思った」とおっしゃると、「意外とね、博愛主義者なんだよ」と冗談めかして話していました。

最後に、バッハが音楽に打ち込んだ原動力についての話になりました。

作曲する時に、楽譜の左端に「JJ」と書いてから作曲を始めていたそうで、「イエスよ助けたまえ」という意味なのだそうです。そして楽譜の最後には「S.D.G.(ただ神にのみ栄光あれ)」と書いて締めくくっていたそうです。今、自分が書いた曲は、あくまで神様の栄光であり、捧げものとして献呈するという意味なのだそうです。「流行とかを超えて、お金のための音楽ではなく、もっと深いものや遠いものを目的に書かれていて、神への畏敬の念から来ていると考えると納得がいく」と鈴木優人さんが解説されていました。

ピアノ教室でも、バッハの作品を弾く生徒さんが何人もいらっしゃいますが、小学生からご高齢の生徒さんまで、年代問わず「この曲いいですね~」とお話しながら楽しそうに演奏をされていて、バッハの音楽の普遍さをいつも感じています。レッスンでも、今回の番組で話されていたことをお伝えし、より深くバッハを知って演奏に繋げてほしいと思いました。

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(この記事は、2023年2月6日に配信しました第365号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、一昨年2021年に開催されたショパン国際ピアノコンクールで優勝したブルース・リウさんのお話です。

ご存知の方も多いと思いますが、ショパンコンクールは、5年に1度ショパンの故郷であるポーランドのワルシャワで開催される世界最高峰の国際ピアノコンクールです。ブーニンやアルゲリッチ、ポリーニなど、そうそうたる大ピアニストを何人も輩出しています。最近、同コンクールで第2位となった反田恭平さんと第4位の小林愛実さんが結婚されたという、おめでたい話題もありました。

ショパンコンクールの優勝者は、一夜にして世界のスーパースターになると言わるほどですが、前回優勝者のブルース・リウさんはどうだったのでしょうか。日本でもコンサート活動を開始されていて、気になるところです。東洋経済オンラインに、ブルース・リウさんのインタビュー記事が掲載されていたので読んでみました。こちらの記事です。

東洋経済オンライン:ショパンコンクール優勝者が語る演奏の本質

ショパンコンクールが始まる前は、誰が優勝するのか意見が分かれていたと思いますが、コンクール後に公開された審査員の採点表を見ますと、ブルース・リウさんは全ての審査員から高評価を得ており(普通は、それなりに分かれると思いますが)、手堅く優勝を勝ち取ったことがよくわかります。

この記事には、昨年12月の来日公演の様子も書かれていました。やはり、ショパンの作品を演奏しましたが、それだけではなくラヴェルやリストも弾かれ、アンコールでは、なんと5曲も弾いたとのこと。アンコールは、通常1、2曲演奏することが多いわけですが、いかにリサイタルが盛り上がり、素晴らしい演奏だったのかが伺い知れます。しかも、アンコール曲を1曲弾くごとに、スタンディングオベーションが起こったそうですから、当日足を運ばれた観客の皆さんが羨ましくて仕方ありません。

ショパンコンクールで優勝した後は、短期的にも長期的にも時間の使い方が変わり、緻密なスケジュールが要求されると話されていますが、その中でも音楽を弾く喜びやエネルギーを失わないように大切にしているそうです。コンクールに優勝すると、それを重圧に感じる方が多い中、ブルース・リウさんは、聴衆からの期待と前向きに受け止め、ショパンだけでなく、いろいろな作曲家の作品を弾いてレパートリーにしたいと答えていました。

ブルース・リウさんが、ショパンコンクールに出場したのは24歳のときで、ある程度人として成長し、メンタル的にも成熟してきたタイミングでの出場がとても良かったと話しています。ショパンコンクールは、冒頭でもお話したように5年に1回の開催で、しかも年齢制限がありますから、ご自身に良いタイミングで参加できる確率は高くありません。また、審査員の顔ぶれを見て、いわゆるウケのよい演奏を目指すのではなく、自分の個性と、表現したいものを出し切ることに専念したと話しています。

200年くらい前に活躍した本当のショパン像は誰にもわからないわけですが、とても複雑で多面的な人だったと捉え、固定概念を持たず、即興的な部分も大事に、これからもどんどんショパンを掘り下げていきたいと意欲を語っていました。

私もショパンコンクールのライブを聴いて、ブルース・リウさんの演奏は、きっちりと練りに練ってこれ以上はないという完成されたものというよりも、どこか何物にも縛られない、自由な音楽という印象を持っていたのですが、記事を読んで、「ああ、やっぱり。なるほど」と腑に落ちた感じがしました。そのような考えに、ショパンを練習することで身に着いた柔軟性が加わり、コンクールでの演奏に結び付いたのだと思いました。

スポーツ好きで、美術や文学、歴史にも大変興味をお持ちとのこと。またジャズも好きでよく聴いているそうで、かなり多趣味な面も、ブルース・リウさんの演奏に影響を与えているようです。多面性・多様性を大切にしていることが垣間見れます。

反田さんや小林さんのように、テレビやイベントなどでよく拝見するわけではないので、今回のインタビュー記事は、とても興味深く読む事ができました。演奏だけでなく、このようなインタビュー記事を読む事で、ピアニストの人となりを知ることができ、今後演奏を聴く楽しみも変化してくるでしょうし、より興味を持って聴くことができそうです。

しばらくは、ショパンコンクールの覇者という肩書で演奏活動をすることが多いのでしょうが、その肩書が取れた時、どんなピアニストになっているのか、今後の進化にも大変注目したいところです。

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(この記事は、2022年11月28日に配信しました第360号のメールマガジンに掲載されたものです)

今回の「たのしい音楽小話」は、クラシック音楽とコロナ禍についてです。

晩秋になり、都内の街路樹もだいぶ色づき始めていますが、今年は思ったよりも暖かい日もあり、例年よりも過ごしやすい気もしています。コロナが流行り始めてから3年が経ち、休校や休業、不要不急の外出の自粛から始まり、それが段々と緩和され、今ではコロナとの共生という流れになっています。ピアノ教室では、最初の1年は発表会やコンサートを中止にしましたが、その後は規模を縮小して少しずつ再開して今日に至っています。

コロナ禍で、クラシック音楽のコンサートなどを企画・運営している事業者は、どのように対応してきたのか、どのような苦労があったのかを伝えるインタビュー記事を見つけたので読んでみました。

クラシックのコンサートやリサイタルでは、ある程度の大きさのホールで多くの聴衆が集まり、演奏が終わるとブラボーなどと声を上げて拍手喝采で終わるという流れですから、コロナ禍の影響はかなり大きくなります。コロナ流行の最初の頃は、コンサートやリサイタルが中止となりましたが、その後、無観客で再開し、次に収容人数の50%を上限として観客を入れてよい事になり、少しずつ楽になったのかと思っていましたが、なかなか大変だったようです。お芝居は何回も公演がありますし、ポピュラー音楽のコンサートは大きな会場で行うので、普段の半分の観客でもなんとかなるのかもしれませんが、クラシック音楽のコンサートでは採算が取れないそうです。オーケストラ公演では、演奏者も多いですからなおさらです。

3回目の緊急事態宣言前には、日本クラシック音楽事業協会としては、これまでのコロナ対策をした上でコンサートなどの継続を要望したそうですが、「コンサートでクラスターが出ていないのは分かっているけれど、人の流れを止めないといけない」という事で、全面中止になったのだそうです。その後、緊急事態宣言の再延長の時に、コンサートなどは観客数の制限付きで行っても良いという緩和措置が取られました。しかし、これまでは全面中止で補償が付いていましたが、緩和措置で補償がなくなり、コンサートが開催できる嬉しさ半分、採算が取れない悲しさ半分という複雑な状況だったようです。

緊急事態宣言が解除されてからは、ウィーンフィルやベルリンフィルなどの海外のオーケストラの検証実験に基づいて、日本のオーケストラも再開しましたが、独自の基準を設けるため日本クラシック音楽事業協会と日本オーケストラ連盟、日本演奏連盟の3つの団体が一緒になって、NHK交響楽団や感染症の専門家たちと共に飛沫実験などを行ったそうです。普段は、それぞれ別々に活動をしている団体が、コロナ対策を機に集まって活動をしたというのですから、皮肉とも思えますし、ちょっと興味深いとも思えます。ちなみに実験結果は、トランペットやトロンボーンは2メートルほど前方に飛沫が飛ぶそうですが、その他の楽器はこれまで通りでも、ほぼ感染リスクが変わらなかったそうです。

このような検証実験を経て、ガイドラインを作ってコンサートを少しずつ再開し、現在では、かなりコロナ禍前のようにコンサートやリサイタルが開かれるようになりました。再開されて良かったと思っていましたが、その陰にこのような業界団体の苦労があるとは知りませんでした。しかし、その甲斐あって満席のコンサートもあるのですから、苦労が報われた面もあるでしょう。

コンサートが通常のスタイルで再開されますと、観客の中には、コロナ対策として座席の間隔を空けて座っていた頃の方がよかったという声を上げる方も少なくないそうです。1席ずつ開けて座ることで、隣の方を気にすることなくゆったりと音楽を楽しめるのですから、お客の立場に立つと断然その方がよいわけです。しかし、運営側からすると採算が取れませんから、今後は難しそうですが、ただ、例えばプレミアムコンサートのような企画は、個人的にはありかなとも思います。

クラシック業界も、このようにいろいろとコロナの影響を受けた訳ですが、コロナ禍だからこそ、先程挙げたようにこれまで別々に活動していたクラシック音楽の団体が結束したり、観客もそんな演奏家を応援しようという雰囲気があり、みんなで一体感を感じて行動できたことは大きな収穫だったそうです。

その一方で、通常に近い形でコンサートが開催されるようになると、ライブビューイングをお金を払って見て、演奏家を応援しようという聴衆が減っているそうで、熱気が冷めてきているとも言われます。演奏会が中止になっていた頃は、オンラインで地方のオーケストラの演奏を聴くなど話題になりましたが、今では聞かなくなった気がします。やはり、生で音楽を聴くことがコンサートやリサイタルの醍醐味ですから、その点でリアルなコンサートにはかなわないわけですが、演奏家の指運びや表情などのアップは、生のコンサートでは見ることができないのでオンラインの強みと言えます。オンラインならではのコンサートやリサイタルの更なる発展も期待したいものです。

また、コロナ禍により、チケットについても変化があります。以前は、ホールの入り口で、スタッフがチケットを確認してチケットのもぎりをしていましたが、接触を避けるために、自分でチケットのもぎりをして箱に入れるスタイルになりました。スタッフの人数を減らすこともできますから、これも一つの変化ですね。いっその事、紙のチケットを止めてスマホを活用する方法も検討されたそうですが、クラシックの聴衆は高齢者が多いので、スマホは難しいとの事で、チケットレスにはなっていないようです。

ライブビューイングやチケットレスは、コロナ禍だからこそ生まれたもので、クラシック音楽業界で失速しているのは残念だと書かれていました。航空券や展覧会、様々なイベントの入場券が、チケットレスになっていますし、ご高齢の方々がスマホを使いこなしている様子も見かけますから、かなり近い将来は、チケットレスになるのではないかと個人的には思いました。

きちんとコロナ対策を講じた上で、コロナと共生しながら音楽業界がより良い進化ができますよう、一人のクラシックファンとして応援していきたいと思います。

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